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サヌキ・アワ判別
自分も乗っかって自分ならどうするか?の事例

サヌキ・アワの判別法1
被害が及ばない所へ避難する。ですかね。酔っぱらいは面倒だし、勝手にしてくれや。という思いが先立ちます。
普段世話になってる人とか、これをしないと被害がこちらにも及ぶとか、の場合上記に限った事ではない。
という訳でケースバイケースです。(打算的)
しかし、自分も前科があるので人のこと言えませんや。

そして、こちらの方

さて、ネットの家庭板にこんなのが有りました。
「女房が自分の両親と不仲になり、別居をしていて
  子供が生まれても自分の親に見せないので
  自分はセイシンがおかしくなって、歯をカチカチ
  言わせるようになった」
という話。
この男はとうとうセイシンに異常をきたしたらしい。
と、報告者(この男の女房)が書いてました。

という文章を読んで、”歯をカチカチ”という表現に面白みを感じました。
精神を病んで、欝になった、寝れなくなった、幻覚が見える、聞こえるというなら、
はあ。と思うぐらいで普通なのだけども、敢えて”歯をカチカチ”。
詩人ですね。

サヌキ・アワの判別法3
これは一億相当の金塊が良いなあ……と思ったのですが、金塊そのままじゃ換金が難しいし近代社会に生きるなら現金が良いのだろうけども。
金塊にロマンを感じるので、換金はさてお金塊一億に心惹かれてます。
一億円相当はどれぐらいだろうか?
金の相場が大体1g=5000円とすると、大体20キロ。良い。
というか、金塊1億と生涯年収1億では生身の人間では分が悪い。

生涯年収10億?いや、年収一億ぐらいで釣り合いが取れるだろうか?
(身の程知らずめ!という心の総意はさておき)
という風に生身の人間を目に見える金銭価値で比べようとしてる自分とは一体……
そんなんだから……

オマケの納骨フライト。
自分なら、乗務員の行動にそこまでせんでも。と、思ってしまった。
シートベルトわざわざ付けて席の確保ならともかく、飲み物サービスまで。
その絵面をを想像すると、狂気というかシュールな気がする。
それが、結果的に良いサービスという結論になってしまってるなら、彼らの中ではそうなのだろう。
サービスって難しいなあと思いました。
いや、故人に対してそれにまつわる物に対し想いというか、執着というものが在るというのはある程度理解は出来る。
が同調は難しいというのが今の所。

実際、自分は身内の葬儀に立ち会った事無いから想像するしか出来ないのである。

自分は利己的、情緒を介さない行動傾向があるのでサヌキ寄りである。
と、今の所判断してるのである。

しかし、表面だけでは判断が難しい。
納骨フライトの爺さん、サヌキとアワ、どっちなのだろうかと考えてたのだが、

・妻が先立って悲しい、この気持ちわ誰かに分かって欲しい。
こうやって心あるもてなしを受けてきっと妻も喜んでいるだろう。私の気持ちを汲んでくれたのだ。嬉しい。

・妻に先立たれた哀れな老人である自分が、その事によって注目を浴びてる。他者より特別扱い受けてる。嬉しい。

とか、何を思ってるかによって全然違うのではないか。
なんて事をぐるぐる考えてたら、自分はどうなのか分からなくなってくる。
ちょっと考えて分かる事ではないというのは確かなようだ。
起こる事
気が付いたら左の眼の目尻側から黒目にかけて充血していた。
目が充血してると何かしらトラブルが起きるらしい。(ココとかよりの情報

初めは話半分であったが、自分の経験則から照らし合わせてみると、確かに何かしら起こるのだ。
今回は左目の目尻側から黒目にかけての充血なので、情報と照らし合わせてみると

・同性
・他人
・トラブルに巻き込まれる
という類の事が飽きるかも知れない。

というのを人に言ったら偶然だろ。と言われたのだが偶然とも取れるし、それが起きるタイミングと重なるのも何かしら意味があるとは思う。
今の自分といえば痛みがなく充血に気が付いたら心構えをしておく。充血が収まるように安静にしておく。程度である。
赤みの程度に比例して事の大きさも比例する。ような気もする。
(考えてみればそれがなくとも常に心構えは必要だろう)

で、何かあるかなあとビビってた訳ではないのだが、それっぽいことが起こった。
電話対応での出来事であったが、何というか、凄い人であった。
迂闊に刺激してはならない人だと、流石の私でも知らしめるような人であった。
電話越しだったのでハッキリとは分からないが、50代近くの女性である。

(というような人と対応する時、相手の話をロクに聞かないで会話を被せてしまうことが自分にはあったのだが、堪えられた。というのが以前の自分に比べて変化があった部分じゃないかと振り返って思う)

というような人と少しの時間関わり、電話の人と恐らく同じ年代だろう仕事場のパートさんを比べてみる。
同じ年代でもこうも違うのかと思う。
というか、パートさんは同じ所で働いてて細かい部分で思う所はそりゃあるが、出来た人なんだと改めて思う。
職場にいる人がこの人で良かった。

そして、電話で支離滅裂な事を言ってたあの女性と同じような会話の仕方を自分はしてたかも。
と、思い当たる部分もある。
(本質から外れて、どうでも良い部分にこだわる。人の話を聞いてない。些細などうでもよい情報を自分だけが知ってるような優越感を感じる等)
そんな人物に辛抱強く対応してた周りの苦労を思うと忍びない。

という事を分からす為にあの電話の人は発現した存在なのかもしれない。

充血の件も、前もって心構えをさせることで冷静に対応させる為、身体がそのようにさせたのかもしれない。


しかし、自分の意識や想念が出来事を呼び寄せるとなると、
私の意識が
目の充血=トラブル
という図式になっていて、それを呼び寄せたとも言える。
鶏と卵のどっちが先か?みたいな話だが、どちらの可能性もアリといえばアリか。
トラブルは避けたいが、気付きたいという欲求もあるので、そっちが優先されるのだとは思う。
意図
仕事中他愛のない質問をしたのだが、答えを得られなかったので、それについて不満を伝えたら
「それを知ってどうするのか」
という返しが来た。

それを聞いて答えに窮したのだけども、詰まるところの私のコレは「個人的興味」程度の質問であり、しかも聞かれないと出てこない程の薄い興味の、無意識に発せられた程度のものであった。

そしてそのような戯言に懇切丁寧付き合う必要も無ければ、
間抜けな質問に対して答えてくれないからと言って不満を零すのは、愚かであるのである。
と気付かせてくれた。

頭良いな。どうしたらそんな風に考えられるのだろうか?
と自分との差に相変わらずダウナーな気分になるのであるが、改めて質問は難しいと思うし、「何の為の」という視点が自分には抜けていた。

という訳で、折角の隔月の質問コーナーを勿体無い事に費やしちゃったなあと、ちょっと引きずってる所である。
そして、どんな質問にも回答してくれてるのは懐深いなあと改めて思うのである。

虫の声
7月に入り暑い日が続いてるのだが、蝉の鳴き声がしない。
毎年いつ位から鳴き出してるのか?と言われたらう~んと言うしかないのだが。
七夕とか夏祭りの時期とか鳴いてたような気がするのだけども記憶が曖昧である。

というか、今年は蛙の泣き声もしない。
梅雨らしい梅雨が見当たらない今年なのだが、それでも去年とか思い返せば
この時期の雨振った時とか上がった後には、遠くから蛙の鳴き声がしてたように思うのだが。

更に言えば、虫全般の鳴き声がしない。
良く分からない名前の知らぬ虫の声が聞こえないのだ。

私の住むマンションの一階部分は法律でそう決まってるのか一部空白の土地がある。
庭のようになっているのだが住人が勝手に出入りできるようにはなっておらず、
手入れはたまに業者がする程度であり夏なんか草ボーボーで緑々しい。

それを見たりして、夏だなあと思ったりするのだが、今年は草が生えてない。
良く見たら土にシートがかぶせており、その上に土を更に盛っている。
シートのお陰で草が生えてこれないようになっているのだ。
コスパの良い管理方法だとは思う。
確かにあれだけ草が生えると虫も湧くだろうし、刈り取るのも大変だろうが、緑が見えないと言う部分で私はやや不満である。

不満と言えば、例のアブラムシとの闘争である。
抵抗すればするほど、今度は第3の勢力が生まれた。
謎の芋虫である。
いつの間に卵なんぞ産み付けておって……
今度の芋虫は葉っぱをむしゃむしゃ食べる。育ち盛りである。
止めておくれと思い、私はミント側へ暫く加勢してたのだが、何かだんだんどうでも良くなってきた。

そこまでミントに固執する理由も余りないし、世知辛い自然環境でここに落ち着いてるなら、好きにすれば良いじゃないかとも思う。
使うのかそうでないのか分からない葉っぱを、小さな虫にすら分けてやらぬのかと、言う意見も何か何処かからする気がする。

この芋虫、成虫がどんなのになるのか少し興味が湧いたと言うのもあるし、葉っぱの虫を殲滅するのにも飽きたというか。
後は、当事者同士で(植物と虫)決めてくれ。
と言う訳で、初心に戻り、私は水遣りに撤することにする。


毎年毎年、異常気象だと言うが、今年もそうだよなあと思わずにいられない。
異常が常習化したらそれが自然ということになるのだろうか?
どの状態が自然と言うのか分からないが、何処かでバランスとってこうなってるのだとは思うので、これもある意味自然なのだ。
変わる環境にどうやって順応するのかかが、大事なのかもしれない。
後からの人
相変わらず大体週1回、革の教室に通ってる。
かれこれ5年位になるのだけども、その間に私の他にの通ってる生徒の顔ぶれも変わったりもした。

以前に多かった人たちは、遊びので来ており、お喋りも多く、何でもかんでも人に聞いて自分で考えて作業を進めるという意思が無さそうな人が多かったと思う。
しかも、出来ない事に対して自分を省みる事が無かったように思うし、態度も大きかった。
教室は基本趣味で通う人が殆どなので、遊びで良いし、上達しようとする意思が無くてもそれは人それぞれだから良いと思う。
(しかし通ってた初期の私は、煩いなあ、もうちっと黙ってくれんかなあ。そんな舐めた態度は如何なものか。と、イラつく事もあったという同程度の人間であった)

そんな事もあったが、だんだんそういった人らも年齢的なものとかが理由で休みがちになり、気付いたら居なくなってた。
そんな感じで、大変作業しやすい環境になったのだが、この辺に来また新しい動きが出てきた。

以前は、慣れるまで時間がかかる等の理由でなかなかやりたがる人が少なかったカービングを今では積極的にやる人が多くなった。
時には、その日通ってる生徒が全員カービングをやってるという日もあったそうだ。
平日の木曜固定の生徒は私ぐらいであったが、新しい同年代ぐらいの女性がこの曜日にかち合うようになった。
この女性は通ってまだ日が浅いのだが、上手なのだ。
私なんぞはカービングに慣れるまで半年ぐらいかかって未だに失敗する時もあるのだが、この人は初めてなのにちゃんと形になってる。

後から来る人が追い抜く…というの流れがあるのはこういう所にも及んでいるのだなあと思った。
今まではこの教室でカービングやる人は私ぐらいで、専売特許という訳では無いが、他にやる人が居ないという部分で満足してだのだが、これからはそうはいかないとい。思い違いをしていた自分である。
何となく張り合いが出てきた感じで楽しみな部分もある。

この間は他に人がいて、そういう時は気が散りがちなのだが、その時はそういった人がいたせいか前より集中して作業出来たように思えた。