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善意のさじ加減

2017.06.22 Thu
善意というものの扱いが難しいと最近になってやっと思う。
最近善意絡みで起きたことが幾つかあり

①財布の置き忘れに私が気付き、店員に私た時の店員の反応
②私としては謙虚なつもりだったが、相手からしたらめんどくさいし、傲慢な申し出であった事
③善意を施すなら、自分も一緒に溺れる覚悟でなければいけないと思った事

①は、閉店間際にて商品まとめるカウンターに財布が置き忘れていたを私が見つけ、近くに板忙多忙しそうな店員渡したら
「うへあぁぁ(´Д`)……ぁありがとうございますうぅ…」という反応をされた事。
余計な仕事を増やされて、うわあぁ面倒だあぁといった反応であった。
確かに財布の忘れ物は、扱いがめんどくさいのは身に覚えがあるので、分かる。
(警察に連絡、何やら書類を書かされる)
しかし、そこも店の仕事なので頑張って欲しい。
財布を拾う。といのは一般的には善い行いに分類されるが、時と場合と状況によってはそういう反応をされる。
というのを知った。

②は、考えなしの善人そのものの反応をしてしまい、よくよく考えたらそれは自分本位な申し出であったと思い直す。
私の思うこの形の善意なら受け取るけども、それ以外(相手の申し出た)の形は受け取らない。
という事をしでかし、
やってしまった!これ、世が世なら手打ちに遭ったな……と、世界の何処かで残基が消えた気がした。
(その後左背中が妙に痛んだ)

③は、中途半端に手を差し伸べたら、本質を見抜けずに、自分的に面倒な事になった。
しかも、相手の悟りを邪魔した形にもなる。デメリットしかない。
善と悪なんて見かけだけじゃ分からないというか、見抜けない自分がアホというか。
時には心を鬼にする事も大事なのだな。と。
手を差し伸べる方が簡単であるのだと思い知った。

善意を施すなら気づかれない程度の、ささやかやものでなければいけないと思うのだが、それそするのも知恵が要る。
並みの人では出来ない事なのだと思った。

①は、人の反応は様々というのが分かったし、②③は自らの思考力の低さから生じたやらかしである。
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