点と線と円
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お越し下さりありがとうございます



あたる
他所様のブログにてちょくちょく美味しそうな秋の味覚が話題になってる処、申し訳ないけども私の方は食中りを患っておりました。

私の食に対するスタンスは、美味いに越したことないけども、結構アバウトなので、賞味期限やら消費期限に対してもそれは適用されておりまして、今回は我が腹を過信した結果であります。

塩干しされたサンマ…購入時に既に半額だったのでとっとと食べるなり冷凍保存すべきだったのだけども、それを怠ったのです。
美味しかったけど。

不幸中の幸いは、ノロのようにのたうち回る腹痛では無かったので、たまに来る腹痛(就寝時にも)とテンションを下げる日常、何をするにも億劫になり早く寝て回復を図っておりました。

まあ何でこんな目に遭ってるのかといえば、100パー因果応報なのでその報いを甘んじて受けるのです。
いつかは終わると分かってるならコレは寧ろ軽い部類と思います。

表面的には、管理を怠ったのと慢心で、我が身を以ってその報いを受けるのですが、見えない原因とかもあるのでしょうね。

腹に問題を抱え、腹の中の消化しきれないものを出す。
腹って頭で感じるものより深い感情と繋がってると何処かで目にした気がするので、その辺も無視出来ないと。

そう言えば、食中りする日の前日とか腰にデキモノが発生してたのも無視出来ないなあと。
腰には怒りが溜まり易いとか(肝臓とか)いう訳なので、蓄積された怒りが今回排出された。
とも考えられる。
(自分を愛して!の本によると、炎症系は怒りが原因らしい。)

それとも単純に常日頃からクソクソ心で思ってるので、それに苦しめられた。
かもしれない。それも有力。
想念はすぐ表に出る世界なので、クソクソ思わない境地まで意識を高めたい所存です。
そんなこんなで集団鑑定は金星でした。
いつもありがとうございます。

金星と言っても、ピンからキリまであるのだ〜と思ったら、納得。
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絵色々
出発の門出


『祝福の門出』
件のウェルカムボード
いつもより明る色を意識した。
イラストボード:アクリル:A3


導く

『導く』
ウェルカムボードの下絵2案目
もったい無いから作品にしたもの
描いてる途中で男女夫婦のつもりの小さい人が双子の姉妹に置き換わった。
水張りパネル:A3:アクリル

夜明け


『夜明け』
これを描いたら何か抜けそう…!
という妄念によって作り上げられた絵。
描いてる途中でころころ絵が変わった。
水張りパネル:A5:アクリル


実写レオナルド

ミュータントタートルズのイメージの中の実写のレオナルド。
自由に描いて良いんだ!
と思ったら楽しかった絵。かっこいいんですよ。ホント。
スケッチブックに下地塗り:35×25センチ:アクリル

刺青の男

『刺青の男』
顔に刺青の女の人を描こうと思ったら男になった絵。誰だろう。
水彩紙:23×15センチ:アクリル

アクリル絵の具を発明した人たちに感謝する日々。
やきもの
愛知県陶磁器美術館なるところへ行ってきた。
どうも私は普通の人よりやきものの好きの度合いが強い。
というのをこの3年間、毎年瀬戸物祭りに行って実感した。
何でも良いという訳ではなく、陶磁器では陶器、そこら辺の石ころのような作風が好きである。
祭りではぐい呑を必ず幾つか買い漁り持ち帰っては悦に入るという有様である。
というか、それ以外をあまり買わない。
祭りでは品物がかなり格安で売買されており、若い作家の作品も見れて面白い。

てな具合なのではあるが、こちらに住んで初めて陶磁器会館なる存在を知った。
ユートピアとか理想郷がこんな近くにあったというのは嬉しい。

ここの良い所は世界各地の古くは紀元前から~最近のものまで置いてあり、各文明ごとの陶磁器の発達や、共通点や人類史なんぞに思いを馳せるといい感じである。
しかし、私は余り歴史詳しくない。
イラン紀元前4500-4000
イラン紀元前4500-4000

丁度、縄文土器の展示が行われており、そういえば、いつぞや生で縄文土器見たいなあと思ってたが各地の土器がこうやって生で見られるのは喜ばしい。
火焔土器紀元前5500-4500
火焔土器紀元前5500-4500

そしていくら私でも疑問に思う縄文土器の異様性。
他の文明の黎明期に作られてたものは大体シンプルな壺に色彩が施されたりして、似たようなところがあるのだが、
縄文土器に限ってはなんでか火焔土器に代表されるようなああいう造形なのだ。
しかも、今のところ発見されてる最古の土器は縄文土器だというから、他の文明の干渉を受けずに作られた可能性が高いので、
こういうのが作られたのが当時の縄文人固有の感性というか精神性を表してると思う。

何を感知したらああいう造形になるのか。
縄文人は何かを感知してたに違いないと思う。

結構閉館ギリギリに行ったので、また時間があったら行ってみたいと思う。
結構見ごたえのある場所であった。
ホフマンについて
ドラクエシリーズのナンバリングは3(未クリア)、4、6をプレイしたことがある。
そのうち4は初めてRPGというものに触れたものであり思い出深い作品である。
そういえば父方の叔母さんに貰ったのを覚えてる。
しかし、RPGの概念が乏しく、しかも章ごとに主人公が別れてるという事が理解できず(この構成は珍しい)、いっつもピンクのオッサンが出てくるなあと思いつつリセットを繰り返し、システムを理解し勇者の章まで辿りつくのは大分先の話である。
それで向かえたエンディングは感慨深いもので、今でも覚えてる。

ホフマンはモブキャラであり、途中加入はしてもすぐ離脱する訳で、話の流れの通過点であり、名前は覚えてても夢で出るまで忘れてた。
で、調べたらちょっと面白いことがわかった。ホフマン

このDQ4は何度かリメイクされており、その度にホフマンの扱いが良くなってるのだ。
ファミコン版はただの男性のドット絵で、離脱する際は人生の師となるなる人物と出会い、エンディングまでずっとそこに居るのだが
リメイク版ではいつの間にやら好青年のビジュアルまで用意されており、離脱の際はファミコン版と同じく人生の師と出会いそこで学ぶのだが、主人公の物語の進み具合によってそこでの学びを終えて、リメイク版の追加要素である移民の町にて精力的に活動してた。
更に進み具合によっては、人間不信の原因であった(モンスターの罠にハマったのだが本人にも原因がある)親友との再会が用意されてるのだ。
(PS版はプレイした筈だが覚えてない)

なんというか、ゲームの人物といえど人生色々だね。と思った。

世界の分岐点とか、こんな感じなのかもしれないと思った。
とある世界では学ぶだけで精一杯だが、何かの拍子で自分の力を発揮するまで至り、得難い体験をする。そんな世界もあるのだ。
ただのモブキャラと思ってたが、なかなかに味わい深いキャラである。ホフマン。

主人公が持ち帰った「信じる心」を見て、何かをサトり、生き方を改めた。
多分、裏切りの洞窟の出来事を他のせいにしてたのが間違いだと気づいたのではないか。
いや、向き合う勇気が出なかったのかもしれない。
裏切りの洞窟を突破するなんて無理だと思いながら密かに主人公に望みを託してたのかもしれない。

其の辺は誰かの創作物に期待するとして、久々にプレイしたくなった。
という話である。

ベルギー王家
今日は色んな偶然が積み重なり、ベルギーの王様が目の前を通り過ぎる。という出来事に出合わした。

・まず前提として、木曜日の14時から革の教室に通ってる事が多い。
・しかしこの日は何となく(ちょっと買い物する用事はあったが)15時からにしてもらった。
・昼頃、家で雑用をしてる時、無音か音楽をかけてる事が多いがこの日はたまたまラジオをかけっぱなしにしてた。
・熱心に聞いてたわけではないが、ベルギー王家が名古屋に来る。という内容を執拗に噛んで喋ってたので記憶に残った。
・私はテレビや新聞を取ってないのでその事を今知った。
・用事を済まし教室の最寄駅に着いたらやたら警官が出張ってる。
・ここでベルギーの件を知らなかったら、ちょっと不思議に思うぐらいでとっととこの場を離れてたが、
その事を思い出し、ひょっとして通るのではないか。と思い待つことにした。

待つこと数分、白バイの機動隊が乗用車を追っ払いつつ、
誰も通ることの無くなった道路に白バイやらSPの乗った車にガードされながら、これまたどれに乗ってるのやら、きっとどれかに乗ってるのだろう、黒塗りの車が数台、走り去った。
結構なスピードであった。
そりゃ、悠長に走ってられないだろう。
なので、結局直接見れなかった訳なのだが、きっとこれからの人生でこれほど近くに王様が通りがかることは無いと思うと、珍しい体験をしたなあと思った。

というか、単純に嬉しかったのだ。
ベルギーと言ったらチョコとエンブレム問題の時ぐらいの印象しか無いのだが、
そんな私でも王様というのはこんなに人民の心に影響力を与えるのだ。と、その心境が分かった。

で、何でベルギーなのだとも思ったのだが、何か縁があるのかどうなのか。妙に嬉しいと感じたのもその影響があるかもしれない。ベルギー王家2
ベルギー王家3
ベルギー王家1

どれに乗ってるのかサッパリな移動車。白バイの機動隊が結構なスピードで走っててそれがカッコイイと思った。
長年の積み重ね
口では母のことはどうでもいいと言いながら、それに煩わされるという事実がついてまわるということは、結局ソレを手放せてないのだと思う。
前回記事の私の愚痴とも言える記事は母が私にしてる事と同じ構図なのだ。
と、いうか読み返してみると、むっちゃ気にしてるじゃないか。。。
傍から見たら、頭にメガネがあるのにメガネ メガネ言ってるような滑稽な事をしてるのだとは思うのだが、こうやって表に出す事が見えることだってあるのだと思って、とりあえず、こうやって形にしてるのだ。

思えば母からの洗脳は凄い。生まれてこの方ずっと影響力を及ぼす。
もっとも、その母には子供を洗脳してるという自覚も無いし、その母もそのような事をされて育ったという自覚もないのだろうけど。

その母にまだ分かって欲しい、という思いが根付いてるし、何か行動をしようとしても、これをしたら母はどう思うか?
と考えてしまうことがある。が、これは意識化されずに無意識に判断してる部分がある。

こういう事があった。多分、10歳に満たない時だと思うが、何が前後にやり取りしたのか覚えてないが母が何か言った事に対し
私は口答えした。
私としては疑問に思ったことを素直に聞いただけ。。。なのだが、一方的に「屁理屈言うな!」と言われた記憶があるのだ。
その事に対し大層傷付いたのだ。

という事があったのがキッカケかなにかは定かではないが、私の思ったことは屁理屈なのか。屁理屈はいけないことだから発言はあまりしないようにしよう。と、フィルターがかかったように思う。

母が来た当日、他県の弟夫婦も姪っ子姉妹らを連れて観光しに来た(私は会わなかったが)のだが、
母が言うには最近姪の長女の方が可愛くない。
と言ったことに引っかかった。
自己主張して言うことを聞かないのが可愛くないそうだ。
それを聞いて私は少し傷ついた気がした。
姪が母にそう思われてる事を自分に投影してたと思う。
(今思えば、本気でそう思ってるのか、冗談半分なのか、過剰反応してるのは自分だけなのか判別が付かない。)

母はどうも、自分の言う事を聞く素直な人間が可愛いらしい。そうでない人間は可愛くない。
もっと言えば、可愛い=好き 可愛くない=嫌い という付加価値を私は付けてた。
そして、可愛がられようと振舞ってた事が自分にもあった。
今でこそ離れて暮らし、自分の好きなように生きてるハズなのだが、どうにも中途半端なのだ。

誰かに気に入られようと本来の自分ではない言動をするのは苦しいものである。そこを抜けねば。と思う。
意識化出来てない部分が最も重篤というのには大いに賛同である。

今日やたら9と5の数字の羅列を見る。
エンジェルナンバーも愛を持って手放せとの事で。なるほどなあ。
現世での縁
色々あった。
と言っても、項目にしたら数個なので結局、複雑にしてたのは自分自身だった。

・懇意にしてる友人の結婚式のウェルカムボードを頼まれる
・絵筆を持つのが数年ぶり
・筆が進まない
・描き方が分からない
・実力が伴わない
・その他準備を色々せねばならない
・色々ギリギリであった
・その結婚式当日に母親が観光目的でこちらに来るので泊めて欲しいと言う

てな事があった。
今回書き留めておくのは後半の母親滞在である。

その日は殆ど家を開けるので、来るなら来るで構わないので勝手にしておくれという事で承諾した。

私のその日の帰宅は結構遅くなり、母は既に先に横になってた。
私も疲れてるし早く眠りたい。

結局、母と同じ時間を過ごしたのは眠るまでの2、3時間と起きてから私が仕事に出る1、2時間程で大して一緒に居た訳では無いのだが、その会話の殆どが一方的な父に対する愚痴だったのには本当に辟易した。

以前の自分なら、母の怒りに同調し、その母以上に父に対して怒ったのだろうが、何というか、勝手にしておくれ。
という思いが強かった。

何でもここに来る直前に大喧嘩して、アレが壊れただのここが痛いだのと延々と言うのだ。
正直、別れても良いし、殺しあっても良いから、気の済むようにしておくれというのが本音である。(言わなかったが)
私に何して欲しいのだ。

多分、同調して欲しいのだろう。
優しく労って欲しいのであろう。
め、面倒くさい。

いやね、人間だからそれを言うなとは言わないけど、たまに会えばいつもこんな調子なのである。
正直しんどいのである。
私が実家へ足が遠のいてるのはそれが原因でもある。
同情を引くような言動をすればする程、離れるのが分からないのだろうか。

それを続ける限り母の受難は続くのだろうなあとも思えば気の毒だし、父も父で暴れなければならない心境を思えば苦しいとも思えるし。

そういう夫婦の子供として私が生まれた理由やら、私の親としてその二人が居るのやらと考えるが、マジ勘弁と思っても理由があるのだろう。

てな感じで、心がもやついてるので、またパンドラの相似象の所を読んでるのである。

私が思うに母はサヌキ女で父はアワ男と見立ててる。
長年、父は怒りを溜めてたと思う。

母は母で自分のやり方を無意識に相手の意向を無視して押し付けてきており、
そのやり方と言うか、『良い』と思ってるのが所謂、世間一般の『良い』であり、それに抗う相手が間違ってると思い込んでる節がある。

何というか、目の前に相手が居るのに見ていない。
(私も。である。)

お互いの心境を思えばやはり気の毒と思うのだが、だと言ってこちらが何とか出来ることは?
と言ったら、何だろうか。
私も変わらなければならない。
現段階では我が身を省みるので精一杯なのである。

Q10-10解答
【南米先住民の成人前の青年 「天を仰ぐ赤い岩」と呼ばれる者のとある日】

『天を仰ぐ赤い岩』
いつからかそう呼ばれていた私は、そのせいなのか、そうではないのかは知らないが天を仰ぐのが好きである。
今日はまさにそれに相応しい日である。
切り立った崖の上の、いつものお気に入りの場所で気の済むまで堪能する。

生きる者は皆、身体はこの大地から、魂はあの天より与えられた。
そう教えられてきた。

地に生きる私は憧れを持って天を仰ぐ。
それは見えても触れる事が出来ない。

大地と天の境目に何があるのか?
その間に居る自分とは一体?
果てまで続くその景色の中に自分を置いた時、それらと一体になれる気がして、とても落ち着くのだ。

我らの祖先も同じようにこの世界を眺めただろうか?それに連なる自分は何処へ繋がるのだろうか?
天地の果てで消えゆく人の形に似た雲を眺めてそんな事を思う。

暇さえあればこんな風に過ごしてる私を同族の者は、どう思ってるのかはあまり考えたくはないが、仕方ない。

狩りは得意な者へ任せれば良いのだ。
このところ気候は穏やかで実りも多く、暫くは食うに困らない。筈である。
きっとこの年の祭りは盛大に行われるだろう。
その時は嫌でも駆り出されるのだ。
ならば今はこうやって過ごすのが私にとって有意義であるのだ。

大きな翼を持った勇ましい生き物が、飛翔している。
彼らにはこの大地はどのように見えてるのだろう。
一瞬、目が合ったような気がした。

昔のインディアン



というのを解答したので、記事にしておく。

不思議なのは、この内容は9/24辺りにアップしたはずなのだが反映されてなくて、アレ?となったのである。
この前のリッツの記事を書いた時に気づいた。

不注意なのか?にしては意味ありげである。
画像のアップロードはされてたのでやはり途中まで作業はしてたはず。
(記事にて画像が必要な時、私はその都度FC2にアップロードの作業を並行して行ってるので記事が無くて画像だけ先にアップロードされてるのはおかしい)
前のオリジナルの記事にもなんやかんやゴチャゴチャした事書いてた記憶があるのでそれも原因かも知れない。

で、今の心境としては、恥ずかしいとは言っていたが実際ソレを行ってみたらそうでもないと。
自分が思うほど大した事では無いのだと感じてはいる。

既にエア記事アップを経ており、心の整理が付いてるからかもしれないが。