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お越し下さりありがとうございます



にわかリッツ
ぐれんの記事で、リッツの販売元がモンテリオールジャパンに変わったせいか不味いとの記事があったので、ネットでその評判を調べてみると、前の方が良いとの意見が多数であった。

スーパーの売り場を見たら一目瞭然であった。
リッツをヤマザキが再現したルヴァンと、クリーム入りのリッツを再現したエントリーは売れてるのに対し、
モンテリオールジャパン販売のリッツは殆ど売れてない。

私はラスト一個となったエントリーを購入した。
ここまで明暗が分かれてるは。
という気分であった。
ここでモンテリオールのリッツも買って食べ比べをすべきなのだろうが、わざわざ不味いと言われてるのを買う気もせず
エントリーが前のクリーム入りのリッツと同じか確認出来れば良いか。
と思いそうした。

で、食べたらまんま以前のそれであった。
名前が変わっただけである。
以前のリッツ好きは、そりゃ改悪された新リッツとこっちじゃヤマザキが販売してるこっちを選ぶであろう。

で、思ったのだが、何でリッツを改悪したのか不思議である。
ヤマザキが35年程かけてリッツとかオレオをお菓子界隈のスタメンにのし上げた訳で(並々ならぬ企業努力だと思う)、それをかっさらうような形でライセンスを打ち切った(どのような経緯か知らないが、そもそもライセンスを貸すというのは、それが目的でもあるのだろうが)ナビスコは、何をしたいのかと。
企業内にアンチが居るのか。日本人が居ないのか。日本を舐めてるのか。再現するレシピが無いのか。海外と日本での製造では環境が違うから再現が難しいのか。日本人好みの味が分からないのか。
色々考えてしまう。

私の主観だが、海外輸入元の日本の有名お菓子のパッケージに類似した商品は高確率で不味い。
それを前食べた時、日本企業のお菓子って凄いんだな…!と思った記憶がある。

私の中の今のリッツの立ち位置はそれに近い。せっかく得た位置を追われるのでは無いかと。

企業側と消費者の思惑がズレてたのかなあと。
消費者はブランドネームで食べてた訳じゃないという事だったのだ。
一度付いたイメージを払拭するのは難しいので、新リッツがどうなるかは折を見て観察してみよう。

しかし、いつも食べても変わらないクオリティを安価な価格で提供してくれる商品は凄いんだなと思った。
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実写版TMNT~影~感想
で、まあその肝心の映画だが、普通に面白かった。
子供向けであるので大人が観たら物足りないかもしれないが、その分登場人物や世界が基本的に優しいので安心して観れる。
(血が出ない、飛行機から落ちてもパラシュートが開く描写があり、物語中基本的に死ぬ描写が無い。底意地の悪い人物が出てこない。この辺が全年齢向けなのだろう)(戦闘中、刀持ってて相手切らないというのはその刀は飾りか!と言いたくはなるが)
アクションシーンは観ててすかっとするし、ちょくちょくコメディ挟むし、小難しい事は抜きにして楽しんだらいいと思う。
ビーバップとロックステディがいい味出してたなあ。旧作アニメ知ってる立場からすると。
だからか、シュレッダーが悪役としてちょっと物足りない。今回そんなに悪いことしてる描写は無いし。
いい作品は悪役も魅力的でなければ。

今回は異形ものヒーローのお約束展開、人間になりたいというものが軸にあった。
人間になれば普通に暮らせる、皆に認められる、皆と同じになりたい。
そういったものだ。
自分の存在に対する劣等感を裏付ける描写であり、このところの自分の思い当たる心境と被る。
普通や、同じなんて他所から与えられた価値観だ、今の自分を肯定しろ。
と、映画を観てたら客観視できるので突っ込めるが、現実の自分となると難しい。
映画ではそれを受け入れて丸く収まった。
優しい世界であった。
Q10-10
Q10-10までやってこれたが、最後の最後でも、ああやっちまったなあと思う所がある。

画像のタイトルの意味が理解できずちゃんとタイトルを付けれなかった。
解答編見てこうすれば良かったんだ!という頭の鈍さ。
あと一点、妙な感情が湧き上がった。
提出したあと、猛烈に恥ずかしくなったのだ。

自分は物語という文章を書いた記憶は小学時代の課題の一環として、中学時代は部活動の一環として絵本作りの時、
そして今回である。
しかも「自分を一人称」で書くのである。夜の勢いもあり提出したが、その後、思いもよらず恥ずかしくなったのだ。
恥ずかしいから恥ずかしいで終わらせれば良いのだがなんでこんなにも恥ずかしいのかと考えると
劣等感に思いたる。
人と比べてどっちが上だとか下だとか、優れてるとか劣ってるとか、そういった価値観(その優劣も主観によるものである)で物事を見ているのだ。
また、なんでも完璧でないといけない。そのようにも思ってる。
だから慣れない稚拙な文章を人目に晒して、それを人がどう思うか。(それこそ人の勝手なのだが)
それに対して過敏になってる。
そんなに人に良く思われたいのか、お前。
と未だに自分の成長の程度に頭を抱えたくなる。

思ったよりこの問題は根が深い。頭で情報として知ってはいても抜けるのはまた別。
最近、
道を知っているのと、その道を行くのはまた別である
(うろ覚え、映画マリックスの言葉らしい)
という言葉を聞いた。

知るだけでは意味はないな。と思う。
劣等感
久々に映画を観た。ミュータントタートルズの実写映画である。
丁度良いタイミングでミュータントタートルズに興味を持ったので映画が8/26に公開されると知った日には早速見に行くぞ!
と意気込んでたのだが結局観に行ったのは公開終了(9/23まで)ギリギリであった。

腰が重たいというか観るのが怖かったのである。
というのは私は何もするにもいつもそうで色々予測(思考とも言えない妄想の類)すれども
それが当たれば予測通りで肩透かし、当たったら当たったで対応できないのでは?どうしよう?
という不明部分が恐ろしくて動けなくなってしまうのだ。


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知恵の程度
また暖簾にバングルの端がひっかかり、私の手に乗せてたお盆には慣性の法則が働き、
皿のチャーハンは何とかお盆の端で止まり無事、コップは落下こそ免れたが
倒れてその中身を慣性の法則を体現して前方にぶちまけた。

コップ一杯の中身といえども収まるところに収まらないと大変な事になるのだな。
同じ事前もあった。
タオルを用意せねば。

という事を思いながら、同じ事を繰り返したのでこれは対策を講じなければと流石の私でも思った。
というか、賢い人なら始めの一回目で何とかしたのである。

状況を思い返す。
全く同じところでひっかかった。安物なので暖簾の裾の三つ折の処理が甘く、引っかかりやすい箇所がある。
そこが原因だ。
・暖簾の撤去
・引っかからないように今より長いか短いものか珠暖簾などにする

とかどうするかと思ったが、ただ単に三つ折がひっかかるのでそこだけ切ることにした。
切りっぱなしの状態だが、普通にしてたら別にほつれてくる事も無いと思う。
それだけの事を以前は考えなかったのだな。自分。
問題を問題として捉えられてなかったのだ。


別の話。
玄関のドアの回転軸の支点の下。
ドア下

干からびた丸虫(詳しい名前は不明。5ミリ程度の丸まった状態で息絶えた褐色の節足動物の類。)が数体あった。なんでだ。
こんな所に同種の生き物の死体が数体あるのは何でだろう。
ここに住み始めてこんな所初めて見た。
全くの盲点であった。
この状態を知ったからには掃除せねばと箒で掻き出したらこれまた丸虫と同程度の1匹の蜘蛛が出てきた。
ひょっとして、ここを根城にして生活してたのか。じゃああの丸虫は獲物だったのか?
だとしたら賢い蜘蛛だな。
と思った。

今日の私との知能の程度を比べて考えたみた。
陥る
私事ではあるが、9月の初め頃、何か目に見えて何かが起きたという訳では無いが、価値観がひっくり返るような事があり、
じわじわと今思うのは何処をどう切っても、自分が馬鹿であったのだという事実だけが残るのだ。

もっと言えば1年程前にも似たような事があったが、そこから抜けたのは自力で気付いた訳でもなく、外からもたらされたものであって自分はそこに乗っかっただけであったのだと今更気付いた。
結局はあの時から変わってなかったのだ。

今回のコレも、最終的には人の手を借りた訳なので、自力では無いのだ。

何でこのような事になったのかと思う訳なのだが、

・Aさんは自分の知らない事を知ってる、物も分かる人だ。信用出来そうだ。

・そのAさんが好意的に接してる人も私の知らない事を沢山知ってる。人格者のようだ、信用出来そうだ。

という自分の思考と判断を放棄したものを発端として、

・何か大変だけど、これを乗り越えたら成長しそうだ。
(そこに自分の意思や目的が殆ど無く、言われるがままになる)

という状況に陥っていた。
その最中にはその様に思っておらず、今更ながら恐ろしい……

しかし、対象物には怒りや恨みは無い。
こちらのアホさで勝手に陥っていただけの話なので。
結局は受け取り側の捉え方次第なのだから。

・悪意を持ってそれを行ってる
・善意を持ってそれを行ってる
•ある人から見たらそれは悪意を持ってるように見えるが、ある人からみたらそれは善意のようにみえる。その逆も然り。

・それは嘘の情報である
・それは本当の情報である
•ある人から見たら真実であるがある人から見たら偽りである。その逆も然り。

悪意/善意 嘘/本当
の場合でざっと分けても実生活では白黒ハッキリ分かれる事は殆ど無く、大抵は要素が複雑に絡み合ってる。
見方によってもそれはコロコロ変わるので、其処を突き詰めるのはこの場合意味が無い。

何というか、本当の事を言えば、そのような状況でも、チラッチラッと疑問や疑惑は頭を掠めていたのであるが、それを意図的に無視してた。
本当に成長してねえ!

何で自分の事を信じてあげられなかったのか、その点は自分で自分に詫びたい。

・他の人が知らない事を知って、成長したつもりになってた。
・その事に酔ってた。
・これをすれば大丈夫と思ってた。