点と線と円
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お越し下さりありがとうございます



上から下まで
炒め物しようとフライパンに油を入れてIHにセットしたまま他の事をしてたら意識がそっちに集中してしまいフライパンを忘れかけてた頃に焦げ臭いと思ったらフライパンから火が出てた。
普段見ない量の炎であった。

油って燃えるのねとか ちらっと思ったが焦った。
急いで電源も消しても火は消えず。
息吹いて消えるような量じゃなくって、こういう時は水に直接はヤバイ気がするから濡らした布巾が有効だった筈なので
それを実行して収まった。
煙は結構な量だし火災報知機は鳴るわで暫く心臓がバクバクして呆然とした。
というかこんな経験が初めてであった気がする。
炎って怖いと改めて思った訳です。

幸い実質的な被害はなく、煙で少々むせた程度であった。
しかしあの時、炎に意識を取られて結構煙を吸ったと思う。
本物の火事だったらこれは煙で死ねるというのは本当だと思った。

今回の件は自分の気の緩みであるが、不幸中の幸いで大した被害がなくて済んだ。

しかし、どっかのパラレルでは1機死んだと思う。
そうでなくとも実際大規模な火事になったパラレルもあったかもしれないし、
全身の大火傷の死により辛いパラレルもあったかもしれなし、
ボヤ騒ぎ程度になったパラレルもあったかもしれないし、
そのへんは無数に存在すると思う。

どれが良いと言われたら、そりゃ何も無いのが良いわけで、となると、何も無い日常こそが幸せなのだと思った次第です。



何か通常と違うことが起きたら、何かしらのメッセージなのだと思うのだが、これは忠告、警告の類だと思う。
最近心ここに在らず。というか、定まってないとは思ってたが、その度にこのような事が起きたらたまったものではないので。
趣味も良いけど、そっちにばかり意識が向くと、どうも内側が疎かになる。
自分はその傾向があるので何かに集中しても継続しづらいのだ。(バランスが崩れてリセットされる時期が来る)

そういう事をわざわざ教えてくれるのには感謝せねばと思う。
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アマゾンおすすめの本
アマゾンを見てたらオススメの本が出てくるのだが(今までの購入履歴か検索履歴とかを元にしてるのだと思う)
最近やたらと『毒親に育てられた子供が執筆した本』(絵柄:一見ほのぼのかわいい系読むと心が痛い)が出てくる。
(私もサンプル程度は読んだ)
前々からこの手のジャンルはあったのかもしれないが、今私の目に付く程度に出てるという事は勢力は拡大している?
のかもしれない。
魂の年齢で言ったらこの辺の説明が出来そうな気がするのだが、
まだ未熟な魂の多い親世代に苦労させられた、それより年齢の高い魂を持ってる子供世代が自己表現と心の整理の為、創作をしてそれが出版社が目を付け、実際にそれなりに需要が多いから書籍にした。

需要と供給がある程度見込めるほどに、子供の方が未熟な親に苦労してる図式が成り立ってる家庭が多い……?
のかもしれない。

これは新しい世代の方が魂の年齢が高い。
という仮説を裏付ける証拠になる。
のかもしれない。

かもしれない が多用されてる記事内容であるが、断定出来ないのでしょうがない。
物欲
今日は休みであったが遅めに起きて雑事諸々(掃除洗濯食事)を消化してたら、あっという間に時間が経ってしまい思い切って今日の革の教室は休むことにした。

そして、色々仕入れないとなあ思ってたものを探しに出かけた。
平日と言えどもまだ夏休みの余波があり人出が多い。
目当ての物を仕入れ、ちょっと思い立って近場にある栄の方の東急ハンズへと行った。

そしたら何故かいつもより人が多い。夏休みといえども異常な程多い。

何だろうと思ってたらハンズメッセというセールが行われており、その初日であった。
噂には聞いたことがあるが私の休日の形態だとなかなかそれにかち合ったことが無かったので人の多さにウンザリしたが、ならばメモ用の小さいノートが欲しかったのでそれを購入した。

人の居ない所を探し彷徨ってたら、エレベーター付近のガチャガチャのコーナーが空いてる。
そこに避難してついでにガチャガチャを物色してみたら外国のコイン詰め合わせ(5枚set¥300安いのか高いのか)というものがあり、運試しと物珍しいのでやってみた。
多分、ifさんのコインプレゼントの恩恵が無かったら興味はそこまで抱かなかったと思う。

因みに出た内容は
1セント×2
インドネシア100ルピア?×1
オーストリア10グロッシェン×1
寛永通宝(文字ほぼ擦り切れ)×1

日本とアジアのコインが新鮮であった。これも縁のある場所の手がかりになるといえばなると思う。

因みに場所は9階(だったような…)なので近場に住んで興味のある方はどうぞ。まだ半分位は中身があったと思う。

ハンズメッセは全店舗の全フロアが対象との事で思い出したことがあった。
名古屋駅の方の東急ハンズは鉱物コーナーに力が入っており、
たまにトルコ石の原石やらをチェックするのだが一目ぼれした石があったのだ。
しかし予算オーバーなのでいつも眺めるだけなのだが、ひょっとしてそこもセール対象なのかと気になり見るだけ見てみることにした。
名古屋駅は更に人が多く、そのまま帰りたい欲求と戦いながら向かう。(人が多すぎると すいません……勘弁してください……と唱えたくなる)
そしたらあった。
想定してたより高い割引率。購入した。

家についてまじまじと見てるのだが、その石は私が前々から欲しかったパイライト(というのか何なのか正確には不明だが金属光沢の鉱物)が混じったトルコ石だったのだ。
青に混じって時折反射する金属光沢が何とも言えずに美しい。
ケースに陳列されてる時は奥の方に並んでたのでそこまで分からなかったのだが、それが想定外に嬉しかった。

今日の教室休んだのはこの石を購入するためだなあと後から思った。
セール初日じゃなかったら他の人に売れてた可能性が高い。(と言えるほど私から見て質の良い石であると思う)
(いやいや、これはあの日会った時から私の手元に来る運命だったのだという妄想も湧いた)

そして想定外に出費したので暫くは節制を心がける日々である。
何処に意識を置くか
業務の一環としてインスタに写真を上げる事を日課として課せられてるが、
私が上げた時と、別の人が上げた時とでは反応の違いが歴然と起きてる。

私が上げた時は反応が薄いのに対し、もう一人が上げた時はホットに反応がある。
因みに同一アカウントを共有してるので見る側からしたら誰がどれを上げてるかとかは分からない。

こうも違いがあると私の何処かに問題があると思わざるを得ない。

・写真の撮り方
スマホで漠然と撮ってるのに対し、あちらは経験の差もあるが、写真の善し悪しの判断を下して意識的に撮っている。

・#タグ、キャプション
私は大体決まった文句を並べてるが、あちらはちゃんと写真に相応しい文や文字を考えてる。

写真の撮り方なんぞ今まで意識しなかったが、何を意識してるのか教えてもらったら、光の当たり具合、魅力的に見える方向、基本的にブレないようにする。当たり前と言えば当たり前だが基本、写真に対する細やかな心配りがある。

ネットで基本的な事を調べたら出てくるのだが、自分はそれすらしてこなかったのだ。
無意識にこれで良いと思ったたのが要因である。
小手先の技術(知識)もある程度必要だが、大体載ってたのが
何を撮りたいのか意識するというのが大事である。
という事であった。
ここが私の大きな間違いで、漠然と撮ってただけで良しとしてたのがいけない。
つまりは基本的な心構えの部分で欠落してたのだ。

写真を見ても、何となく良い写真と悪い写真がある。
じゃあどうして、これを良いと思うのか?悪いと思うのか?
そこまで思考してなかったのである。

課せられてるからといって、ただこなせば良いという訳でもないので、どうせやるなら善い方へと向かいたいものである。
同じ事でも、自分捉え方でプラスにもマイナスにもなる。

何処に意識を当てるのが大事なのだと改めて思いつつ、うすらぼんやりではいけななあと思った日であった。
TAO
タオを何でタオというのかは知らないけども、その音を聞いたとき、
道 TAO
というのを思い出した。

あとファミコンのソフトのコレ
やったことないけど、時代と電波を感じます。宗教布教ゲームとか怖いです。ネタじゃなくでまともに作った感じが。

まともな方のタオは中国の思想であるらしい。
何で宇宙根源的なものがタオというのかは分からないままなのだけども。
魂の辿る遍歴が道といえば道なのだろうけど。
オリオンゲートに超ひも理論というものが出てきたが、道もヒモ(弦)も線だよなあと思っといて、
宇宙卵との関係はどうなんだと思っといて、謎が謎を呼ぶ感じである。
召喚
あの年のGの発生率は以上でして、こう噂するとまた出てきそうというかそっちに意識が向きそうなのであまり話題にしたくはないのが本音ではあるが、とにかく、あの年は酷かった。
就寝中に遭遇したのをキッカケにほぼ毎日見た。
ややノイローゼ気味になった。
家に帰れば居るのではないかと思えばその通り、何故かタンスとか一見ありえない所に居たり、仕事場では今まで見た事のない所に発生したり、散々であった。
ネットで奴らの生態を調べどうすれば良いのかを熱心に対策を練ったり色々した。

ロクでもないとは思うが、アレは確かに今思うと私がGを呼んでたように思うのだ。
確かに対策を練ったり調べ物をしたり、事の顛末を人に訴えたりと、心の底ではこの状況に充実感を感じ望んでたようなのだ。

そして恐怖心。正常な判断を狂わす。冷静に考えればたかたがちょっと大きい素早い虫なだけなのだ。
毒があったり、生命の危機はまずアレでは訪れないはずなのに。
何故にあんなに恐怖を感じるのか。
まず対峙したときどうしたら良いのか分からない。積み上げられてきた恐怖のイメージが混乱を起こす。
恐怖心に対する求心力というのは凄まじいと思う。それしか考えられなくなるのだ。
そして実際より大げさに捉えてしまう。

想念は確かに実現化する。(するならGなんぞ具現化したくはないが顕在意識では潜在意識には敵わない)
そんなこんなで自分で作り上げたイメージに踊らされた。
というのがあの時の出来事だったのだと思う。

これからは変に構えずに出たら出たで勝負しようと思う。苦手なのは苦手ではあるが。

部屋の掃除、は基本の基本という事で。
コックローチ
今季は出ないなあアイツ。と、油断してたら仕事場に出ました。ツヤピカの成虫。
逃げられない状況と、舐めくさってるのか逃げようともせずにその辺を闊歩する奴。
その間に武器になりそうな手頃な紙の束を調達して武力行使。
去年よりは直接手を下せるようになったので成長したなあと思ったのも束の間。
生きてる……!
追撃するも中々死なない。
何なの?この生命力。
半身が半壊してても生きようとするその姿に哀れみの情を抱かないでもないが、
そんなこんなでどっちにしろ死ぬのは時間の問題だけとも触りたくないとウロウロしてたらもう一人の同僚に笑われつつヘタレ呼ばわれながらも、処理してくれました。

半壊してても動く姿がトラウマになりつつ、手を下すなら一撃必中でないといけないなあと思いました。
いくら虫に痛覚が無いといってもあんな姿で生きながらえさすのも、その姿を見るのも堪えるので。
狙うなら頭なのかそうなのか。。。


サイとΨ
武術の演舞やら型を観るのがどうやら好きらしい。
鍛え上げられた人間の動きというのは自分にとって魅力的に映るのものであるのだと感じる。
で、サイという武器がある。
サイ


ミュータントタートルズ繋がりの赤い亀の武器のアレです。
沖縄の古武術に使われてる武器だそうで、当然忍者は使わないのだけど見栄えというか画面映えするので採用されてるらしい。
(他にもトンファーとか、沖縄の武術は変わった武器を使ってるなあという印象が残った)
確かに両手持ちはロマン。
型を観たら持ち手がくるくる変わって手品を見てるみたいで興味深い。

つらつら調べたら
ギリシャ文字のΨ(プサイ)とこの武器のサイの形の類似性について知恵袋にて質問されていた。
回答は単なる偶然という事になってたが、私はそうとは思えなかった。
音は形を表すという感覚はあると思う。

で、このΨ、今はアルファベットだとPSに置き換わっており文字が無くなってる。
Ψは心理学や超能力を表すサイコ、サイキック、の辺りに使われてる。
サイコの語源を調べたらギリシャ神話のエロスとプシュケにたどり着いた。
ギリシャ神話は素人レベルでしか知らないが、私はこのエロスとプシュケの話に限ってはエロールルカインの絵本を持ってたので知ってたのである。
愛と心の邂逅の話という解釈となると感慨深いのであるが、内容に関しては各々の解釈に任せるとして、
プシュケ=サイコなのである。
何故かサイコという言葉は今はあまり良い意味で使われない。
英語圏でこのサイコ野郎とでも言ったら最大級の侮辱になるらしい。

この辺を考えると心を表す形(私の解釈で)のΨが無くなり、サイコという言葉も本来の意味(精神、魂)を殆ど失っており、なのでアルファベット圏の文化は精神や心(目に見えないもの)に対する理解が乏しいのかな?
と思った。
何でΨが無くなってサイコの意味もそうなったのか色々要因があるのだろけども。

サイを調べたら意外なところに繋がったのでつらつらと。
時間差※8/10修正有り
ifさんがいつぞや『文章が跳ねてる人がいます』と言ってたというか記事にしたというかあったと思うのだけども(見つけられなかった)
その時は一応自分も範疇に入るので、そんな風に思われてたのかーと恐々としてしまい、思わず確認したというか、今考えるとそんな事する必要なかったのだけども、人の反応に過剰に反応したのだと思う。

※跳ねる じゃなくて 弾む の思い違いでした。こんなんだからぼやっとしてるのです。
リンク記事:弾んでる人

《文章が跳ねてる》という言葉は凄い的確だなと、ある意味インパクトがあったからこうしてふと思い出したのだけども、
自分の文章跳ねてるかと言われたら、跳ねてる事もあるよなあ。
と自覚する。(え?常に?そうなのか……)

夜の変なテンションに加えロクに推敲しないで思いついたことを垂れ流すので必然的にそうなるのだが、
その時は『跳ねてない文章にしなければ』
と思ったのだけども、そもそも跳ねるのは思考が跳ねてるから文章が跳ねるからで、思考の方に注意しろよ、自分。とツッコミを入れておきたい。
其の辺もifさん記事にしてたような気がするのだけども、忘れてたのか覚えてないのか、ぼんやりしてるのである。


保留力
仕事場でちょくちょく仕入れてる材料屋から、一度の注文は1万以上にして欲しいとお達しがあったらしく、それに対し社長が抗議をしたのだが聞き入れて貰えなかったので別の所へシフトチェンジしようとしてるらしい。

お互いの言い分が分かるといえば分かるので、変な事は言えずにいたのだが、
(安く卸すためには一度の注文は多くして欲しい。利益が出ないと安くできないとか、送料削減の為等。)
(こちらだってお客さんが1個だけ欲しいと言ったら利益少なくとも用意する、そちらの料金の縛りはおかしい)

と文章にしたら、そもそもの販売形態が違うのだから、こちらの言い分おかしくないか?とも思っている。
私としてはお互い無理のないように取引できれば良いと思うのだが、社長はそうとも思えず、やや感情的になっているようだ。
(主張としてはこちらも同じことを要求してるのだが)
一度の注文の金額だって現実的な数字だし、どうにかなる事といえばどうにかなる内容にように思える。

ちょっとでも意に沿わないと全部ダメと思えるパターンだなあこれは、と感じたが、自分に思い当たることがある。
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