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お越し下さりありがとうございます



とりあえず、一区切り
今日まで仕事で、早めに終わりこうしてまったりしている。
年始は年始でまた世間一般では正月休みの期間に働き始める。

以前はこうしたスケジュールに嫌気が差していたが昨今はそうでもない。

皆が休んでるから休みたいとか
皆が欲しがってるから欲しいとか
そういった欲求が少なくなってきていると感じる。

本当にこれが私に必要なのか?
本当に望んでるのか?
そういった見えない“シン”(芯 真 心など)の部分から欲しがってるものというものが
存在してるとようやく理解する。

で、まあ世間では正月だとは言ってるが、それに足並み合わせようとすると(買い出し、正月ぽく過ごそうとする)
どうも上手くいかないし、忙しいだけで疲れるだけだなあと私に関しては気付いた。

というわけで今年は一日多く休みがもらえたからゆっくりしようと思ってる。

さて今年はどんなんだっかななあと、年末にありがちな回想をする。

大きな目に見える変化は無かったけど、嫌なことも嬉しいこともあったけど、
まあトータルに考えると上出来じゃない?

ということにしておく。

正月料理はそんなわけでロクに用意してなかったが
嬉しい事があった。
今日お客さんが一人暮らしという私に大量に作ったからとおすそ分けしてくれた。

それがまた手の込んだおせちで美味しかった。
大晦日から食べて良いのか知らんけど。

おせちに今まで偏見があったが、作る人が作れば美味しのか。
と、凝り固まった価値観に囚われてたなあと思う。

というわけで、全ての人に幸いあれ。

として今年は締める。
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楽しむ
女二人でスケートしてきた。
休みになり、周りは子供連れににカップル、友人らとなかなかバラエティに富んでる。

さて、危惧してたスケート 果たして滑れるか?
であるが、別に私は問題なく滑れた。
小学生以来であるが身体は覚えてたのである。

しかしだ、もうひとりの友人は滑れなかった。
(ノ∀`)アチャー
転ばなかっただけ良かったが。

私は滑れるので楽しめたが友人は面白いとは感じにくいかと思った。
が、私にコーチング出来るスキルもなく、かと言って引いて滑っても面白いのか?それ?
てな感じで、彼女は彼女でスケートがどのようか分かった。
という点では成果はあったと思う。

滑るにしても、あれはバランス感覚と脚力両方ある程度は必要だ。

どうやって滑るのか?
というのは言語化するのは難しい。
ただ、スケートの歯に重心を置いて、あとは思いきり滑るのだ。単純にそれだけなのだ。
この辺が分かると 知る の違いか。

でも出来るようになると、なかなか爽快で面白いものだ。

何となく思考の深さ?についても同じように感じた。
ある程度は基礎的なものが必要でそれが身に付くまでは結構大変だが
諦めずに訓練したら出来るようになってそれが面白くなってゆく……

それが人生の捉え方になり、生き方が楽になるとか。

そんな事を考えたりした。
思い込みの罠
またもや無意識に思考の罠にハマってしまった感があるので反省文。

端的に言うと
○○という望みを叶えるには××しなきゃならない
という内容である。


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10年間意識レベル判定
ふと、興味がわいたので、過去10年間の意識レベルを調べてもらった。

それが以下である。

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大根から学ぶ
大根から学ぶ。

今日は気温も低く雨が降ってて人の出入りは少ないかなと思い、今日やるべきことをシミュレートしていた。
そしたら、社長が膨大な葉っぱ付き大根を携えてやってきた。

これらをお客さんに分けて欲しいとのことだ。

続きを読む
言動の不一致
社長の言動不一致が目立つ。
いくら立派な事やら、綺麗事並べても やってること、考えてることは目の前の利益優先で、自分中心で
分かりやすい事象しか目に入ってない。

続きを読む
願望
前の記事の
・宝くじ当たったら○○したい
という願望の抱き方だと叶いにくいのでは?と思った。

ただ願うだけでいいのに、前提条件つけてしまったら逆にその前提が揃うまで叶わない。
という風に無意識にインプットされてしまうのでは?

また、よく
・宝くじ当たったら仕事辞めたい
というのも聞くが、逆に言えば宝くじ当たるまで辞めるつもりは無いですよ。
と言ってるようなものではなかろうか。

願いがあるなら単純明快ストレートに集中したほうが叶いやすいと思う。

さて、その単純明快ストレートな願いというのが自分でも分からない・・・という事がけっこうある。
先の仕事辞めたい・・・の願望だって

・本当に働きなくない
・もっと自分のしたい仕事をしたい
            ∟・ならばそのしたい仕事とは?
                   ∟・金銭・才能を活かせる・時間・人間関係・やりがい  
                  どれを優先させる?具体的な自分の才能や特性とはどういったものか?

などと、意識しなければならないことが多くある。
というわけで日々自分の思考の整序ですよ。

自分が何が好きで何を望んでいるのか。
無意識領域の中の物を顕在意識にまでたぐり寄せる。
よく聞く、答えは自分の中にある。

私は死ぬまでに分かれればいいなあと思ってるが悠長か。

となると。
宝くじの願いはただ単純に当たれ!
が良いのかもしれない。
宝くじ
この時期になると、宝くじ売り場が賑わってる。
かくいう私は宝くじを買ったことがない。
父が熱心に購入してたが(多分今も)高額当選した試しがない。

子供ながらにもっと有意義にお金を使えばいいのに。
と思っていた。

そして当たる当たらないはさておき、余った宝くじのお金の使われ方がどうも納得いかないので
私は宝くじに興味がない。

そして、最近気になったよく聞く宝くじ関連のワード。
「宝くじ当たったら○○するのになー」
というもの。
なんかカチンときたのだ。

・金の有無で叶う叶わない夢とは本当の願望か
・というかハードルが金だけならば自分でどうにかなるのではないか
・そのために自分は何か働きかけてるか

カチンときた理由は自分では何もしてないのに棚ぼた的に幸運を期待している部分だ。
現状に不満を抱きつつ、それを甘受しているのに認めたくない心理というべきか。
なんとも寝ぼけた発言じゃないかと思ってしまうのだ。

じゃあ自分はどうなんだ。と問われるとお金はあるに越したことはない。くれるものなら貰う。
しかも以前は上記のようなこと妄想してさえいたのだが
最近はなんかそれって違う。
と思いどうでもよくなった。

自分の願望は金銭の有無ではどうにもならないし、今のところ別に金で困ったことはない。
それどころかお金が使えるのは良いものだ。
とさえ思ったりしてる。

私は今までの占い結果によると、たいていお金は貯まらないが使うには不自由しないと出る。

前はお金持ちになれないのはヤダヤダ!

と思ってたが今は不自由しないなら結構じゃないかと思っていて
奇しくも占い結果通りになろうとしてる。

余談だが、私の母方の伯母はスクラッチくじみたいなものをバンバン当ててるらしい。
金額は知らないが結構高額。
本人は霊感が強いタイプだと思う。
私はこの叔母に対して好意的である。
何となくモノが分かるタイプの人と思っている。

高額当選を結構引いてるのだが、伯母は当たったら惜しみなく周りに分けてるらしい。
母もその恩恵に預かってた事がある。
当てたいなら差し出すといいらしい。
その手の話はよく聞く。

選挙
恥ずかしながら、結構イイ年であるにも関わらず、政治に関心が無い。

が、無知のまま付け込まれて良いようにされるのも癪なのである。
という精神から、ちまちま情報を集めているが。

わからん。
政党多すぎるし、主義主張だってある角度から見れば良い場合もあるし悪い場合もあるし、
似たようなこと言ってたりするし判断に困る。

というか、根底に政治不信がね。根付いておるのですよ。

政治家にまずロクな奴なんざ居ないと!

その中からマシな人物を・・・と言いたいがそれの判断が。
そういう場合の悪手が見た目やら宣伝の目を引きやすさで決めてしまうこと。
分かりやすい内容で懐柔されてしまうこと。

嫌な政治方針を考えると

×売国

がまず思い浮かぶ。
最低限愛国者であってほしい。

経済発展が国民の幸福かと問われると、その考えはもう古いとも考える。

原発いらん。とも思ってる。

それらを軸に考えると入れる政党は絞られそうだ。

ゴチャゴチャ操作しようとするマスコミも煩い。
発言をいちいち大げさに取り扱い曲解した解釈で拡散する。
あ、これらが一番邪魔な存在だわ。

先の世代の事を真面目に(マシに)考えてる人はどこの政党なんだろうか?


一緒に過ごすことを楽しむ
私は誰かと一緒に過ごすのが苦手である。
板に付いた長年の生活のおかげで一人の方が楽なのである。
というのも言い訳であるが、どうも誰かと過ごすことに対して初めから億劫になる自分がいる。
なので自分から遊びに誘うということはほぼ無い。
例外としては、向こうが誘われたがってる場合、誘わされる。
みたいな形で声をかけることがあった。

で、今回も誘って欲しそうなのでそういう形になり
少し億劫になったがちょっとした心境の変化があった。

別にその友人と遊ぶのは好ましいことなので嫌ではない。
というか、こんな自分に今までいつも声かけてもらって
いつも何だか申し訳ないなあ ありがたいなあという気分になった。

どうせなら楽しもうと思い、今の時期開いてるスケートに誘った。
何年ぶりだろうか。
少しワクワクしてる自分がいる。

なんで誰かといるのを楽しくないと思うのか。

・群れること
・誰かと一緒に過ごす

これの違いは今ならわかる。
以前は混同していた。
私は群れるのはめんどくさいから嫌なのだ。
別に誰かと一緒に過ごすのは良い。

そして私はあまりにも受身でありすぎたのだ。

楽しむにしても誰かが私を楽しませるものだ。
と無意識に思っていてもその結果、楽しい事には十中八九ならないので
それを誰かのせいにしてた。
そして自分も随分つまらない人間になってた。

楽しい楽しくないはあくまで自分次第なのだ。
誰かと一緒で居ようと居まいと状況は直接の原因では無さそうだ。

もっと自分を楽しませて良いじゃないか。
気の合う友人と過ごすことは楽しいことじゃないの。
よくよく考えれば当たり前のことに思い当たる。