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お越し下さりありがとうございます



愚か者
見た夢のこと

地元の友人が出てきた。
犬を保護していて期日中に飼い主を探さないと殺処分になってしまうという状況。
なのに彼女はギリギリまで取るべき行動をとらない。
残り一日になって、ようやく「自分は愚かだった」という事に気づく。
というのを、私はずっとそばにいたのだけども見ているだけであった。

このままではダメだと思い、かくいう私は億劫に思いつつなかなか行動を移せなかったのだけども
状況が状況なので動く。心当たりの人たちに頼んでみる。
私もギリギリで動く。
同じだ。

私がギリギリまで動かなかったのは、人に頼むのを躊躇していたからだ。
悪癖の『断られない状況』に固執していた。
そんなの待っていたら犬は死んでしまう。
判断力が麻痺していた。
優先順位がおかしな事になっていた。

殺処分を避けるにはとにかく動かなければならないのに。

すべき行動をとらないでいる。

犬の行く末はどうなったか。

夢に記憶はそこで途切れている。
私は心の中で(ああ、これは助からないであろう)
と諦めていた。

愚か者は私である。


最近自分がアホであるという事を傘にしてすべき事をしないでいる傾向がある。

正直、凡愚な自分の分、少数派の人に苦労してもらって自分は楽したという思考。

出来ないのはしょうがないじゃないという甘え。

好みに耽るとはこの事か。

当然、そのままだと自分は何も成長しない。
自分の生まれた理由なんて知る由もないが、何となく、それでは目的が果たせないのではないか。
生命の冒涜ではないか。
という思いが浮かぶ。

愚かなら愚かなりに、足りないなら足りないなりに、どうにかせねばならない。
なにも劇的に変革しなければならないということではないのだ。
癖に気付いて、地道に日々を積み重ねば。

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豆腐
最近、豆乳から作った豆腐は美味いに違いないという、妄執に囚われて、試行錯誤している。

そもそも、気まぐれに豆乳とにがりのセットの商品を買ってみて、上手くいって美味しかったので
コスパを良くするため、無調整豆乳とにがりを用意して作ってみる。

ネットで調べてみる。
すると、簡単作り方
とか出てくる。
大まかな流れを見ると、豆乳ににがりを混ぜて温める。
それだけなのだ。

始め目分量で作る。
失敗。
にがりを入れすぎて不味い上に固まらない。

これは目分量はダメだと思い、計量カップにスプーン、製菓用温度計を購入。

再度、キチンと量り、温度にも気をつけて作る。

何か思ってたのと違うチーズみたいな豆腐が出来た。
おぼろ豆腐のような物が。

このあたりで豆腐作りが自分の思ったよりハードルの高いことに気付く。

そして豆腐職人にリスペクトしつつ、どのような経緯で豆腐が発案されたのか気になる。
わざわざ大豆をすりつぶして煮て、絞り、絞り汁に煮込んだ海水を混ぜるのである。
ウィキを見てもあんまりハッキリしていない。

豆腐が固まるのも電子がどうのこうので、昔の人がその仕組みを知ってたとは考えにくい。
しかし、現に豆腐は存在するわけだ。
古代の失われし科学技術の名残なのか……?

そんなこんなんで、再トライ。
豆乳はまだある。

今回は、にがりと豆乳を混ぜるのに力を入れてみた。
いつもはちゃっちゃと混ぜるだけなのだ。
泡立てないように注意して暫く混ぜると、心なしか もたっとした液体になる。
それを電子レンジで温めてみる。
100cc2分。

……爆発した。

しかし、飛散した物体の中に今までで一番豆腐らしい物体が出来ていた。
早速取り出して温かいうちに食べる。
見た目はともかく、苦労した分美味しいと感じる。

まあ、市販品の方が美味いレベルなのだが。

妙な満足感を覚える。

今度はレンジの時間を短めにしよう。
期待を裏切られるとき
自分にある無数の心の癖の1つに気付く

人から断られると、事の大小に関わらず、必要以上に傷つく。という部分だ。
客観的に省みると、本当にどうでもいい事である。

今回こんなケースがあった。

朝、通りすがりのヤマトの人に、今日送って欲しい荷物があるから持って行って欲しいと頼んだのだけども
今は朝の忙しい時間帯で今は無理なので夕、方回収しますと断られたのだ。

たったそれだけなのに、何故か私は必要以上にショックを受けていたという事に気付いた。

文字にすると更にバカバカしくなる。


さて、私が人にものを頼むときは

●そこそこ気の許せる人に
●状況から考えて
●まず断られないだろう

という条件の時に行うことが多い。

つまり、この時点で頭の中で断られるというケースについて考えてない。

なので、こう容易く断られると不測の事態に陥り軽いパニック状態になるのだ。
特にそこそこ気を許している人間との間となると更に裏切られた感情も発生する。

本当にめんどくさい人間である。


多分この感情の由来は幼少の頃に関係あると思うのだが、確証が持てない。
でも、経験的にその辺に原因があるはずと私は考えてる。



にしても。
大げさに考えすぎなのだ。

●そこそこ気の許せる人に
●状況から考えて

という部分だって私からの主観であって相手はそうとは限らないのだ。
その違いを感受できないのは私に原因がある。

突き詰めれば、大前提の『予想通りに事が運ぶことがあれば、そうでない場合もある』
ということが頭から抜けて、自分だけの思い込みで行動して勝手に感情を乱しているのである。アホである。


思い返せば、私は『人からの頼みごとを断ってはいけない』
という風に思い込んでいた。

それは例の如く自分より他人の心の方に比重を置いていたからである。
(それは良い人に思われたいという、低次で陶酔部分より)

それを他の人にも強いようとしていた。

本当にアホである。

この辺の自覚が今回できたので、今度はマシになりたい。
人としての尊厳
私  「トイレ行きたい
同僚「ダメだ
私  「やばい ここで漏らしてしまう
   人としての尊厳が
同僚「初めからお前に尊厳なんてない
私  「いや、少しぐらいはあるハズ…
同僚「いや、初めからマイナススタートだ
私  「そうなのか…じゃあマイナスが多少増えたところで変わらんなあ
私  「しかし、私はなんでこう理不尽な扱いを受けているのだ
    前世に何かしたのか?
同僚「前世どうこうより現世だろ
私  「そうなのか
同僚「ところで前言った作業すんだ?
私  「それが、わからなくて勝手にやっておかしな事になっている
同僚「クソだな
私  「そうか、これが現世でしでかしてる事なのか
同僚「だろ




前世は分かりませんが、着々と現世でもカルマを無意識に増やしてしまっては清算しきれませぬ。
成功と失敗
寝るときに思い出した。
母に「私は子育て失敗したかな?」ということを。
そんな事、子どもに訊く親はロクでもねえなぁ。と思い、複雑な感情を抱きつつ当時の私は
彼女の期待してるであろう返答をしたのであった。

(そんな事、訊くなんて私は子育てに失敗された人間なのか?
それとも母の思うような人間に育ってない期待はずれな人間なのか?)

と、そんな思いが長年私を悲しくさせていたのだった。

しかし、例の場合分けで考えてみる事にした。

親が子供に「子育て失敗したか否か」尋ねる時、どういうつもりか?

①子供が思うように育ってない
②子供が思うように育っている
③分からない

またそれに対する返答にどのようなパターンが考えられるか?

Aその通り
Bそんなこと無い
C分からない

でその時は①→Bルートを選んだわけだが。(なんという茶番な親子関係だ…・)

問題だったのはずっと①と思い込み勝手に傷ついていたことだ。
彼女の思うような人間ではない現実にだ。(憶測だけども、母が思うこの世的に誇れる人間でない事)

しかしそれは他人の価値観に自分を合わせるという不自然でおかしな思い込みだった。

別に①②③のどれのつもりだろうが、私が傷つく必要は無いのだ。
失敗してようが、してまいが、それが私なのだから。
それは母の中での価値観の話で他人の私に訊くのがそもそも間違っているのだ。

母にとっての成功or失敗が
私にとってのソレになることもあるし、ならないこともある。

そして逆も然り。

こういうことは他の人に聞いたって答えは出ないんじゃない?

私はこのような疑問を与えられて感謝です。

しっかし、母はけっこうサバサバしてる気性を自負してる節があるが、めんどくさい人間だ。
しかも無自覚だし。

いや、私も人のこと言える立場じゃないけどさ。
嫌なところで似ている。

いつぞや、無自覚で生きていたら親の通った生き方をすると目にしたが、そういうことか。

反発や相対するのでなく、その次元から抜けなければならない。


量を増やす
デッサン用の鉛筆について。
貸してほしいという人に貸すために持っていったら、手で削った歪な鉛筆を見て同僚が言った。

どうして手間のかかる手で削っているのか?
鉛筆削り器使ったほうが労力が少ないし時間の短縮にもなるだろうと。

そう言われたらそうだ。
なんで私はずっと鉛筆を手で削っていたのだろうか?

とはいえ、気づいたら初めからその選択肢しか考えられなかったのだけども。

学生時代、周りの人は皆、手で削っていた。

・私自身、鉛筆削り器を持っていなかった。
・周りが皆、そうしていたからそれが当たり前と思っていた。

という現状があったのだけども、納得できる解答が出来なかった。


それについて暫く考えてたら、手作業することによって心を養ってたのではないかと思い至った。

鉛筆は大事な手の延長の道具。
機械で削るのと自分で削るのではキの入り方に違いがあるのではないかと。


あと、機械で削るとどうしても単調な仕上がりになってしまうが、自分で削ると好きな調子に仕上げられるので、
より良い作品を生むには適している。


という事をその場で思いつかない頭の回転の鈍い自分という事にも思い至った。
心に嘘をつく時
人からもらったという外国のお菓子を頂いた。

外国のお菓子に関してはそこまで期待してないので、不味くはないが、とりわけ美味しい……訳ではなかったのだけども。

「美味しい?」
と聞かれて咄嗟に
「美味しいです」
と答えてしまった。

頂いた立場だし、文句付けるわけじゃ。と、グルグル考えてたら

「美味しくなかったでしょ」

と見透かされてしまった。

心に無いことを言うものでは無い。
と、痛感した出来事でした。


振り返るに、どうも私の普段の言動は他人に嫌われまいとする傾向が強い。

今回の感想にしたって、ただの感想なのにそこに感情が入ってくる。

というか、心に無いこと言うと、自分にダメージを受ける感じだ。
自分の心に従ってないからであるからかなあ。

もうちょっと、自分の心に素直になろう。
気の遣い方
要らない気の遣い方をする人が居た。

1週間前にとある商品を取り置きして欲しいと強い意思で頼まれたので、じゃあ と取り置くことにした。
そしてその日から1週間後の今日、その人が来た。

なんでも医療費がかさみ、ちょっと余裕がないとの事でキャンセルを頼んだ。
そこはまあいい。
1週間の取り置きの時点で考えの変わる可能性が大アリだったから。

しかし、本人は悪いと思ったのか、それより金額の少ない別の物を代わりに購入した。
それも何かひっかかるが、売上があるのは嬉しいので良いという事にする。

それで終われば良いのに、「怒らないでね」なんて言いながらまた別の物を購入しようとする。
因みにこの時点では取り置きキャンセルについて微塵も怒りは起きてなかった。
あーしゃあないな。でも、ちゃんと予定日に言いに来た分、良心的な部類だな。と感じていた。

しかし、その別の物の金額合わせたら、元のキャンセルした品物の金額に匹敵する。
何考えてんだろ??お金の持ち合わせが無いから辞めたんだろうに、何故その分浪費しようとするのか?

本当に謝罪の気持ちがあるなら焼き土下座

なので、そこまで気を遣わなくて良いと止めておいた。

なんか心悪い感じがした。

本当に悪いと思うなら、取り置きなんて真似これからしないようにすればいいのだ。
ちゃんと、使うお金と欲しい品が揃った時買えばいいのに。

なんて事はわざわざ言わなかったが。



しかしなんか心悪い感じがしたので、それにについて考えた。

度を超す謝罪、対価を払おうとする。
それをされると、まるで私がここまで追い詰めたのだ。と、責められた気がしたのだ。

すると、加害者と被害者の反転が起きる。

こちらとしては落ち度は無いのに罪悪感を発生させられて嫌な感じになる。

そして、今回のこの人は、逆に自分を被害者に転嫁して悪いと言いながらその実、心の底では反省なんてしてないのだ。
そしてそれを無自覚無意識で行ってる。
そんな魂胆が見え隠れして嫌な気分になったのだろう。

しかしまあ、こっちとしては分かったならそれに巻き込まれなきゃ良いわけで。

あちらは一人で勝手に加害者になったり被害者になってれば良いのだ。
優先順位について
雨が降ってきて
走る人と、歩く人とで分かれる。

それぞれ何を優先して行動の違いに出たのか?

と、考えて答えが出ない。

そういう私は歩く人なのだが、

●降り始めなので雨足が強くない
●帰りなので多少濡れても支障がない
●走るのがめんどくさい

てなことを考えた。
では、走る人は?

本人は効率を重視したつもりが、結果そうでもない。節約のつもりが余計に金を払った。
なんて事がザラに起こるのが現世クオリティ。

今日思った事の覚書。
各々の世界の中で
某鑑定結果届きました。
相変わらず早いレスポンスで恐縮です。
依頼して数時間後に返ってきたので心の準備も無くの結果でした。

なんだか8月はあっという間に過ぎてゆき、ああそういやそういう時期だったなとぼんやり思い出した感じです。

とういわけでこの意識レベルの推移を覚書として記録しておきます。
2013/12 567 O
2014/02 459 O
2014/09 618 O

高い数値が出たけど、調子に乗りやすいタチなので(証拠の2回目鑑定の下がり方) これは、その時のM氏の世界においての私の心の自由度。
という位置にしておきます。

余計な思考について。
鑑定依頼したとき、それまでは(上がってる)と感情抜きで自然に思ってたのですが、急に(数値下がってたらどうしよう)という考えが湧いてきたんです。
それで、私というものは実際そうなったワケじゃないのに頭の中だけの
不要な心配事に心が囚われてた事が多かったんじゃないかと気づきました。

しかも実際起こりうる可能性の1つでしかないのに、その事にいちいち 良い、悪いの自分善がりの価値観を反映させて感情をこじらせる厄介なものです。
本当は起こる事と自分の感情は別なものなのに。
それで判断力を狂わせる。

この時期に問題集取り組んだ事は幸運でした。

M氏には会ったこと無いですが、にじみ出る人柄やら、温かいものを感じます。

忙しい中、鑑定して下さり感謝です。

そんなんで来ました問題集。
前より落ち着いて向き合えそうです。

当たり前の事こそが、一番厄介。
ゆめゆめ自分の頭脳に惑わされないようにしたいです。