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お越し下さりありがとうございます



ガラケーへと戻る。
そういえば世間ではiPhone6が出るとか出ないとかでわいわい言ってるのに
とうとうガラケーへと変えてしまった。
ちょうど、発売次の日でショップに行ったら混んでたので気がついた。

後悔は無い。

スマホ歴約3年ちょっと。
確かに便利で楽しませてくれた。
楽しかった。

というか、便利すぎたのだ。
私の場合。

しなくてもいい面倒まで見くれて目先の興味を引き、楽しませてくれる。

なんというか、創造性の欠如。を助長したのが大きい。

ちょうど壊れて数日間スマホ無しで生活したら、新鮮で濃かった。

初めは壊れたら新しいスマホ用意しようかと思ったけど、無しで生活したらこれがいいのだ。
なので、前々から考えてたガラケーにえいやっと戻った。

しかし、見切り発進。考えたらず故の問題が起こる。


●電話帳の移行が出来ない

いつぞやのパソコンに入ってたアドレスを手動で入れる。
大して数が無いのが助かったが。
しかしめんどくさいことに変わりない。

しかし、始めガラケーからスマホにした時は以降出来たのに、逆はダメってなんだかなあ。
アドレスの整頓ができたと思う事にする。

●スマホのパソコンeメールアドレスの消滅

想定外にこれがしまった。
ちゃんと確認すりゃ良かった。
通販サイトのアドレスにいくつか使ってたから、それの変更。

●line出来ない

出来なくはないが、パケホーダイに入ってないと大変。

●スマホに入ってるアプリを諦める。

7分間エクササイズ、あとちょっとで半年達成だったのに。
これがスマホ無しにして一番後悔した部分。

とまあ、こんな感じで困ったなあと、思うことはあってもまあいっか。
と思う程度。


iPhone持ってる時はほんとに暇さえあればいじってた。極端なこと言えば寝てる時以外。
自制心を持ってちゃんと活用すれば素晴らしい機械なのだと思うのだけども、自分はダメであった。

こんな話を思い出した。
何年か前にiPhone出たばかりにとあるデザイナーが手に入れたけども、便利すぎるこれに危惧して次の日にガラケーに戻したそうな。今は知らんけど。

私はそれに3年ほどかかってやっと、気づいた。

自制心が緩く、便利、楽な方へズルズル流れる。

便利、スマホの善悪ではなく、それを受け取る側で薬にも毒にもなると思い知らされた。
ちょうど包丁が調理器具になるのと殺人道具になるのと似たように。

時間が出来るようになった。
本でも読もうかと思う。

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スマホ中毒者

9/15に私のスマホがぶっ壊れた。
詳しく言うと、夜中にスマホをいじっていてそろそろ寝ようかというときに充電がまだ17%ぐらい残っていたのに、いきなり電源が切れた。
まあ、そういう時もあるさとあわてず騒がず電源を付けようとしたが、例のリンゴマークが出てもそこから一向に立ち上がらない。
むむむ。これは初めてだ。
どうしたことかと思ったが、とりあえず寝た。

次の日もそのまま。起動せず。

仕事に少々支障が出るが、まあ何とかなった。

同僚にアップルストアに持っていくと良いと言われ、場所を聞いて仕事が終わったら持っていこうとした。
結論から言うと道に迷い、修理の受付時間が終わってしまった。

私は戦慄した。

スマホが無ければ満足に目的地にたどり着けないのかと。

そして、裏腹にいつもあった携帯からの開放感が嬉しくて、安堵していた。

何となく、無意識にアップルストアに行くのを回避してたと思った。
いや、意図的に が正しい。
本格的に場所が分からなくて場所を聞こうとコンビニへ入ったのだけども、のんびりお菓子物色したし。


私は、この便利な機械から逃れたかったのだ。
思えば、携帯電話を手に入れてから、大抵肌身離さずに身に付けていた。
スマホになってから、特に顕著になった。
webページの閲覧で時間をつぶす。
この世界は膨大で毎日見てても見尽くせない。毎日無尽蔵に生まれる。
何でも教えてくれる。
手助けしてくれる。

そして私は考えるという事をしなくなってしまっていた。

ちゃんと自分を主体にして活用して発信する人もいるが、受身の情報におぼれてる私のような人間が大多数かと思う。

これは恐ろしい。

心のどこかでこれは無駄だ、辞めなければならないと思ってはいたのだが、どっぷり依存していた。
スマホ中毒と言ったらしっくりくる。

こういうと、依存させようとした相手側が悪いと思いがちなのだけども、確かに私は喜んで依存していたのだ。
自覚できていながら、それが無いのが耐えられない。

いや、今も距離が出来たお陰で多少客観的に見れるだけで依存体質からは抜けてない。


しかし、開放感。
あんなに毎日ともにしてたのに。
無いなら無いでどうってことが無いのだ。
このままケータイの必要ない世界にいっそ行きたいと思っている。

そういえば、某情報では願いが叶いやすい時期だとあった気がする。

私はずっと前から携帯から離れたいと思っていたのだ。
それが叶った。

しかし、仕事上、また用意しないとならない。
非常に面倒だ。

私の手に余るものを毎月、決して高くないお金払って所有するって、どんな苦行なんだ。
昨日、2回ほど頭をぶつけて
その日見た夢でも2回ほど頭をどつかれた。

私の思考に問題ありと心に留めて、気付いた。
基本、人任せなのだ。

レジ待ちで近くの人がお金落としたが、私は気付かないふりをした。
結局、別の近くの人が気付いて渡した。

電車座ってて、近くに爺さん立ってたけど、席を譲らなかった、
結局、近場で降りてた。

店で傘を落とした人に気付いたが、何もしなかった。
結局、近くの気付いた人が教えてた。

確かに1個1個は些細なことだけども、根底にあるものは同じだった。
自分から動くことに躊躇するのだ。

どうしてだろうか?
今更なのだが、ずっとこの調子だ。

いや、いつでも無関心装ってはいないし、やるときはやるのだけけど、行動することにブレーキがかかってしまう。
すべき時に行動に移せない。
とっさの判断に自信が無い。
こういったものは間を逃すと不自然だ。
何に対して不自然と思うのか。

人の目を気にしている?
人の為の行動というより、自分の体裁の為だという事に思い至った。


そして、その事に後ろめたさを感じている。
自分で自分が情けないという後ろ暗い気持ちだ。

しかしなんで、事実に対していちいち感情がついてまわるのか。

私には出来ないことがある。

そのことで自分を貶めるような感情が発生。

気持ちに浸る

思考の停止

というパターンが板についてる。
解決までの道順が出来てない。

しかし、こうなってしまう流れを否定するのも2重の否定という もっと捻れを引き起こすので、この時点の私としては、分かった、お手上げとあるがままを受け入れるしかない。
自分的には不本意で悔しいが、小心者で、小賢しい、卑怯な部分が存在してる。

では、どうするかというと、こうすれば良かった。
と思うパターンを想像し、実際行動すりゃいいのである。

言うのは簡単、実際は。。。
である。
だからの学びで、今生、死ぬまで意識せねばならないことなのだと、ひとまず頭に入れておく。




とあるアクセサリーを作って欲しいと頼まれた。
でもそれは、私には難しくて、つい否定的な言葉を選んでしまった。
その時何処かの片隅で、それは良くないと、思っている自分もいる。
人間 出来ることしかできないけど、それに限界を自分で作ってしまうのは謙遜ではなく、むしろ傲慢な気がした。
出来るできないは、やってから決めても遅くはないのでは?

もう少し、自分を信用せねば。
体に出る症状
最近、体調が万全でないせいか歯茎が疼く。
そこはそもそも治療したところで、痛みやすい箇所と自覚はしている。
あと、心当たり。
怒りを感じると体の何所かしらに炎症が起きるのだ。
それが今回は歯茎。
そこが炎症している。
痛いとイライラして悪循環。
そんな時に効果があったのがいつか同じくこんな風に痛くなった時、ネットで調べて試してみた
塩でマッサージする事だ。重曹も混ぜるとなお良い。
今回もそれで痛みが引いた。

とはいっても、治療はちゃんとしないといけないから、歯医者に予約しました。。。



思考の放棄
遅めのお盆休み?みたいな休日をようやく取れたので久しぶりに実家へと行く。
以前は2.3ヶ月に少なくとも1回は帰ってたのだけども、最近は随分距離を置いていると思う。

遠のいた原因は
習い事を始めた。
その分の交通費に余裕が無くなった。
高速バスの便が不便になった。
実家が汚部屋。
などがある。

そして以前から母とは考え方が違うと思っていたが、ハッキリ確信した。

近くの温泉に行こうという事になって車で向かう。
ラジオを聴くと、ちょうど夏休みの子供の自然科学の疑問を専門家が答えるという企画をやっていた。
子供といって侮る事なかれ。ハッとする疑問を子供は投げかける。

その中に小学校低学年の女の子が”なぜ、いのちはあるんですか?”との問いかけがあった。
私はその子の感性に感心したが、
母は「えー、なんか怖い。佐世保の子みたい」
といった。
ちょっと意味が分からない。
佐世保の子って事件起こした子だよね。
なんでそれが繋がるの?

どうやら、母の中では
生命の仕組みに興味=猟奇的
となってるぽい。

こんな小さな子がそんな事に興味を持つなんて普通じゃない。オカシイ。理解できない。末恐ろしい。
と考えているっぽい。
わたしはの女児側の考えや疑問をを抱くほうなので、別におかしいことではない。と思っている。

そんなことが積もり積もって、休みが終わり、もやもやというか、怒りを抱いていた。

私はいつもそうだ。
表面的に母に合わせてしまう。彼女の喜ぶ選択を自分を差し置いてしてしまう。
長年そうしてきたのである。
無意識にそれをやっていて、疑問を感じていなかったが最近、それは違う。と思うようになった。
それでも行動はまだ伴っておらず、結局この怒りは自分に対してなのだ。

因みに某鑑定によると、私の家族の内で母のみプレアデス領域。
むっちゃ現世に縛られてる。
口では欲は無いと言っておきながら、世間の価値観に翻弄されてる。
それが見えてきた。
それが分かると、距離を感じる。
自覚すると、なおさらだ。

だからといって、他からの働きかけで変わるのは難しいということも悲しいかな、分かる。
救いは、父がオリオンなのでスマルまで堕ちない事を食い止めておくれと心を向けることぐらい。

複雑な心境だ。
でも、大切なのは自分の心だ。