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お越し下さりありがとうございます



善意のさじ加減
善意というものの扱いが難しいと最近になってやっと思う。
最近善意絡みで起きたことが幾つかあり

①財布の置き忘れに私が気付き、店員に私た時の店員の反応
②私としては謙虚なつもりだったが、相手からしたらめんどくさいし、傲慢な申し出であった事
③善意を施すなら、自分も一緒に溺れる覚悟でなければいけないと思った事

①は、閉店間際にて商品まとめるカウンターに財布が置き忘れていたを私が見つけ、近くに板忙多忙しそうな店員渡したら
「うへあぁぁ(´Д`)……ぁありがとうございますうぅ…」という反応をされた事。
余計な仕事を増やされて、うわあぁ面倒だあぁといった反応であった。
確かに財布の忘れ物は、扱いがめんどくさいのは身に覚えがあるので、分かる。
(警察に連絡、何やら書類を書かされる)
しかし、そこも店の仕事なので頑張って欲しい。
財布を拾う。といのは一般的には善い行いに分類されるが、時と場合と状況によってはそういう反応をされる。
というのを知った。

②は、考えなしの善人そのものの反応をしてしまい、よくよく考えたらそれは自分本位な申し出であったと思い直す。
私の思うこの形の善意なら受け取るけども、それ以外(相手の申し出た)の形は受け取らない。
という事をしでかし、
やってしまった!これ、世が世なら手打ちに遭ったな……と、世界の何処かで残基が消えた気がした。
(その後左背中が妙に痛んだ)

③は、中途半端に手を差し伸べたら、本質を見抜けずに、自分的に面倒な事になった。
しかも、相手の悟りを邪魔した形にもなる。デメリットしかない。
善と悪なんて見かけだけじゃ分からないというか、見抜けない自分がアホというか。
時には心を鬼にする事も大事なのだな。と。
手を差し伸べる方が簡単であるのだと思い知った。

善意を施すなら気づかれない程度の、ささやかやものでなければいけないと思うのだが、それそするのも知恵が要る。
並みの人では出来ない事なのだと思った。

①は、人の反応は様々というのが分かったし、②③は自らの思考力の低さから生じたやらかしである。
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アブラムシとの戦い
知人よりアップルミントなるものの小さな株を頂いたので可愛がって(水やりしかしてないが)いたらワサワサ増えて
もとの鉢が手狭になったので、株分けをして育てようとした。
栄養がありそうな土と、分けたばかりだったら弱ってるだろうと栄養剤も投入。
それいけなかったとはつゆ知らず。

数日後。
ミントにアブラムシが付着してるのを発見。
前は付いてなかったのに、どこから沸いたのか不思議に思ったが、アブラムシはよく見ると綺麗な緑色をして可愛い。
(※後から知ったが、ミントとか普通は虫が付きにくいのだが、栄養豊富な土とかで育てると柔らかい新芽とかにアブラムシが付く事がある。)
何を血迷ったのかその時私は
アブラムシも生きてるもんね><
少しぐらいなら見逃そう><

その繁殖力を侮っていた。

さらに数日後。
キモいほどにアブラムシ大発生。
ミント全滅寸前。

(この構図が日本と某K国とφ国のように思えなくもない。
これだから日本はダメになったのだ。とか思ったりした。)

流石に私はアブラムシを育ててるのではない、大事なのはミント。
と思い直し、対策を講じる。寝ぼけた事を言ってる場合ではない。
※リンク先画像注意
結構アブラムシの生態も面白い

ミントは再利用したいから、薬は使わない方向性でとなると、物理での駆除である。
初めに試したのは水に浸ける。
というものであったが、今の時期は特に水が暖かく、酸素がふんだんに含まれており、大抵の虫には効かないらしい。
(沈めた時、気泡が虫の体に付着して、それが酸素ボンベの役割をする。
気泡が無くなってきても周りの水には酸素が含まれており、そこから供給される)
という訳で水責めは効かないので、直接手を下すことにした。

よくあるのはガムテープにくっつけて除去というものらしい。
面白いほどにくっつく。
暫くアブラムシ憎し。と、見つけ次第殲滅してた。
しかし、いくらやっても全消去が難しい。(メスだけで増える。成虫は一日5匹生む)

そんなこんなでオリオンにて自分の気に入らないものは徹底的に消すという、ガンで亡くなった人の話が載っていた……
一番消したかったのは自分なのか……

今の私の行動は極端から極端である。
そこまでムキになる事ではないと思い直した。
最低限の条件としては
ミントの成長速度>アブラムシの数
なので、程々に殲滅する事にした。
暫くその作業をしてたら、大体どこら辺にアブラムシが付着するとかも分かってきたので、
そこまでムキにならずとも程々に作業も淡々とこなすようになった。

アブラムシたちも、死ぬ直前までソレは分からないのかもしれない。

という訳で自らのアホさ故に初期の段階での対策を講じなかったので、この様な手間を毎朝かけている。
かといって数分程度だが。
最近になって新しい芽も育ってくるようになってきた。

かといってミントの活用方が余り思い付かないという現状に最近になって思い至る。
せめて肩パン/追記6/7
正論ネタになる事があった。

とある出来事に対して私は覚えており、相手は覚えていなかった。

相手が言うには「私はそんなことしない、したことない」との主張。
私はそうではない、しっかり覚えている。
と伝えても、無邪気なまでに「そんなはずはない」との主張。
さらにそんな意地悪なことなんで言うの?という反応。
こ、コイツ、都合の悪い事は綺麗さっぱり記憶から消去してる……!
(嘘は付かないタイプなので、本気で忘れてるという部分は信じてる)
と、憤りを感じる部分とこの不毛なやりとりに対する脱力感というか感情を持て余す。

相手が忘れてるのだから、相手が悪いじゃないか。
と、思う部分と、
ああ、忘れてるという事は相手にとって『無い事』になるのだなあと、言う、諦めの部分。
もっと言えば、忘れるという事は相手にとってさほど大事な事ではないのだと理解する。
よく考えりゃ、私にとってもコレは大した事じゃない。
そんな事で憤るのはアホらしいのであるが、やはりちょっとムカつくので※肩パンぐらいはしたいというか、させてください、それで水に流します。
という怒りの残滓を流れに任せて記事にしてます。

もっと色々増したら、肩パンするのもどうでも良い心境、もっと上に行くと愛おしい心境になるのであろうが、今の時点の自分はコレである。

因みに相手は私の母ぐらいの年齢の女性である。

追記/6/7
と言っても、自分もよくよく考えたら、嫌な事や都合の悪い事やどうでもいい事など忘却してるに違いないので人の事をとやかく言う資格は無い。
という事で、お互い様ということで、自分に肩パンしとく程度に収めておく。


※肩パン
肩にパンチをすること。
握った拳を、対象人物の左右どちらかの肩甲骨と鎖骨のつなぎ目(肩)にぶつけ、衝撃を与えること。
痛みを与えるのが目的でない場合が多く、主に威嚇的意味合いが多い。


今日、そう言えば私は鏡で自分の姿を見るのが苦手なのだと自覚した。
前々からその何となくその心地悪さを感じており、見れなくはないが、何となく苦手である。

何でかなあと、考えてたら、小さい頃何か気に入らなくて不貞腐れていて、仏頂面をしていた。
その様子に母は苛立って「その仏頂面を鏡で見てごらん!」と言われたのを思い出した。
勿論、そのような顔は自分で見ててもいい気分ではなく、不愉快な顔をした自分は自分でも嫌な顔であった。
ただでさえ、幼少の頃より弟は女の子と見間違われ(今ではヒゲメガネのオッサン)、私は男の子と間違われるような容姿をして
(認めたくない余談だが、今年の正月帰省したら私と弟はソックリなメガネをしており、背格好が似てたのも相まって、容姿が似てた……)、
そのコンプレックスを抱えており、そこに来て不細工の上乗せをさせられ、それを自覚させられたらたらそりゃあ傷付く。
なけなしの乙女心のライフはゼロである。

という訳で、自分の顔を余り見たくないのだと、直視を避けていたのである。
それは自分の意識の直視を避けることにも及んでいる。
ただでさえ自分の意識の客観視は難しいのに、それを意識的に避ける傾向がある。

この出来事から感じた事は、怒ることはいけないこと悪いことだと抑圧してきた事。(抑圧しきれない部分は漏れたりするが)
女の子は女の子らしい容姿をしていなければいけないと思っていた事。
自分の姿が嫌いだと思ってた事。

もっと色々複雑に要素は絡み合って、些細な事でも一生涯自分を縛ることがあるのだと思うが、
それでも自覚出来たらそこから手放せると思う。
調子に乗る
思い返せば、しっかり自分の心と対峙していただろうか?
分かった気になり、大事なことをおざなりにして目の前の事で満足していたのだ。
この所、調子が良かったのである。気分も良い。
それはそれとして、それで有頂天になり調子に乗る。
自惚れており、それは傲慢さからくるものである。

何で傲慢になるのだろうか?
他より優れてると思いたい、思ってるから謙虚さを忘れて傲慢になる。
それは裏を返せば何かの価値基準で自分を評価しているからである。
何か行動を起こしたとか、評価を得たとか、自分の本心より周りの反応で自分の評価を下してる。
その評価自体も、自分で作った枠組みであり、そこに自分を押し込める形で形成された歪なもので、
そこで喜んでる状態が先程までの自分のイメージである。
自由とは程遠く、悲しいものである。


調子がいい時は良いがそれが崩れると、極に揺れる。
(いや、この件はそこまで落ち込んでもないし、コレは目が覚めたという気分である。
自分何やってんの!と言いたい)
とにかく、そこに留まってる場合じゃないのである。
そこに気付けて良かった。

しかし、その渦中に居ると分からない。何回同じ罠にハマってるのと言いたい。
同じことが何回も起きるという事は未だにミに落とし込んでないのだ。

自分の意識というのは容赦なく自分を騙す。
騙すというか、自分の都合の良いように捏造する。
人が忠告してくれる場合は圧倒的に少ないので、自分の事は自力で気付けるレベルになりたい。
盲信してもいけないし、猜疑心に苛まれてもいけない。
私は極端に揺れやすい。
そこらへんのバランスが取れてる人は安定して意識レベルの数値が高いのだと思う。

下から上は見えないし分からないので、そういうものがあるのだ。
と、一先ず信じて進みたい。