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お越し下さりありがとうございます



権力と権威
例の前世カードなるものの中のうちに「権威者」と、出たのでそれについて考えていた。

未だに纏まっておらず、かといって完璧になるのを待ってたらきっと何時まで経っても記事になりそうにないそでとりあえず覚え書き程度にまとめておく。

権威者と出たとき、権威とは何ぞや?と思い、似たような言葉の権力とどう違うのか?と思った。
その違いにつて今まで考えたことが無かった。

辞書なり知恵袋なりを徘徊して、一応自分なりにまとめると
・権威とはその影響下にあるものが自ずと従うもので、それ自体に強制力は無い。
・権力は属する構造のルールとして据えられたもので、それ自体に強制力がある。

大抵は権力に権威が付いてる場合が多いし、逆のパターンもある。
権威というのは、人々の共通のイメージが作り出したもので実体が無い分、自分がその影響下に置かれてると意識しづらい。
権威と権力の大きな違いはその影響力が自分の内側か外側かだと思う。

そして、自分はその影響をモロ受けやすいのだと、最近知った。
イメージの影響を受けやすい。

どうも苦手な人がいる。
今は婆さんなのだが、かつてどこぞの学校長をしてたらしく、今でも何かしら文化的な活動に関わっており、、、
何というか、上から目線なのだ。
あからさまなそのような言動を取ってないのだが、端々に滲み出る雰囲気が嫌だなあと思っていた。
のだが、本当に嫌なのは、その上から目線的な雰囲気に萎縮してしまい、本当の自分とは違う言動をする自分だということに気づいた。

もっと言えば、偉そうな態度をとり、私の言動や精神の自由を奪う憎いやつ。
と、思っていたのだが、一番自分を不自由にさせたいたのは自分であった。というオチである。
こういうのを逆恨みという。。。
その影響下に自分を置いていたのは自分であり、その責任は相手ではなく自分にある。
権威というありもしないモノを自分自身で認めていたから、そのような人に対して自分はそのような態度をとったのである。

権威について考えたらその事に思い当たり、なるほど。と、納得したのである。


思い返せば、その権威の影響下にある状況に例えようのない怒りが沸いてた。
そのくせ、その人物には反発できないのである。
逆らえないものに従おうとする自分に、その相手にも腹が立つ。
指図をされるとそれが正当なものであっても腹が立つ。

今ではそこまで苛烈さは少なくなったとは言え、何でかなあと思ってり、これはどうにかしたいと思ってたのだが、この度、その原因が前世絡みであるかも知れないと思うと、何となく腑に落ちる。

自分はよっぽどやりたくない事を、権威に負けて行ったのだろう。

肝心な、具体的な時代や国に関してはさっぱりなのだが。
そこはそこで詰めて行ければと思ってる。
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鬼の首を取ったの如く
かつて、というか最近までラジオやらテレビで喋りのプロと言われる人が噛んだりとちったりする度に、「あ、この人噛んだ」
とか言ったり思ったり、囃してたたり、今思うと必要以上に責め立ててた。
根底に“失敗は許せない”という想いが凝り固まってたのだ。
失敗=悪 であるものと思い込んでおり、それは他人に自分にと全方向に責める感情は向かってゆく。

自分が少しでもミスや失敗したら、それこそ地獄まで堕ちたような心境になり、自己嫌悪やら罪悪感に苛まれ自己否定に繋がり自分なんて……とやけっぱちな気分に陥り、
他人がミスすればそれが許せない気分になり、怒りが沸く。

文字に起こすと相当嫌な性格である。

もっと前はその失敗責めは無意識に行われており、勝手に怒ったり、自棄になったり人ですらない状況であった。

という事があり、こうやって記事にしてるのは、今ではあまりそうは思わなくなったからである。
相変わらず噛んでも(あ、噛んだな)と思う程度で収まってるのである。
何でこのような心境の変化があったのかなあと、思い出そうとしてるが決定打がない。

今思い当たったのが、何かの本かで目にしたかもしれないがフジ子ヘミングが
「失敗っしても良いじゃない、機械じゃないんだから」
と言ってた(書いてた)のを読んで、あ、失敗しても良いんだ。と、思ったのがキッカケかもしれない。
しかし、その文章を知ってから数年は経過してると思う。
頭で知っても、心に届くのは時間がかかる事例である。

まず失敗しない人は居ない。それを責めても解決にならない。
何故なら感情が先立っており、解決や改善を考えてないからである。

もっと言うと失敗して責めても自分が辛いだけなので、それが嫌ならそれを辞めれば良い。
という単純な事であった。
自分の失敗が許せれば、他の人の事のソレもどうでも良くなり、結果、心が軽くて快適に過ごせてる。
そんな感じである。
未遂
この間、店で万引き未遂が起きた。
開店直後、人通りが少ない中、死角を狙ったものと思う。

未遂に終わったのは、私がその人が店の物を持って居たのを把握してたが
他の人の対応をしてたら見えなくなったのを不審に思い、見つけてたらまさに自分のバッグに入れようとしてた所であった。
正直ビックリした。
しかし私はそこを見てないフリして(あまりハッキリ見えなかったので強くも出れなかった部分もある)、
声をかけたから未遂に終わったのである。
試してみますか?と言ったら買います。と答えた。お金は十分に所持していた。



これはどうすれば良かったのか?と思ってるのである。
店は大体一人で対応しており、こういう事は起きてもおかしくないとは思ってる。
しかし、実際起きると、とっさの判断が難しい。
特に今は諸事情で判断を個人個人でしなければならない状況なので、必然的に向き合わなければならない状況なのである。

ハッキリ言ってトラブルは起きて欲しくないし、面倒事はゴメンだと思ってるので、今回は穏便に済ませてしまった部分に自分の弱さに原因を感じている。
もっと言えば怖くて通報なんて出来ない。と言ったほうが的確か。

前はもっと万引きに対して随分舐めた考えも持ってたのだが
(ブログ初期にそのような記事があった気がするが探すのが面倒。しかし、とにかく低次な考えを披露してた)、怖くて出来ないなんて言ってる場合じゃないのである。

万引き犯については、これは自分でも結構意外だが怒りやその他諸々の感情が殆ど起きてない。
問題の焦点は、どうするべきか。なのである。私としては未然に防ぐ方向性である。
困ったなあと思ってる。
では、この人物の情報を他の同僚に共有する為、監視カメラを確認しようと思った。
スーパーと併設してる店舗なので、そこのカメラを見せてもらおうと考えたのだ。
しかし、話を聞くと思ったより面倒な事が判明。
警察に被害届けを出して、警察介入でないと見せられないという。
プライバシーやら何やら人権やら其の辺が絡んでるらしい。
詳しくは聞かなかったが以前、勝手に見せたとか事があって、実際トラブルがあったらしい。
話した人もそのような本部の規則で個人の裁量で動けないと言ってた。

……この世界は被害者より、加害者の方が大事なのだろうか。

話は逸れるが、今の女児の事件だって、被害者の事詳しく報道しすぎだろう。
その方がセンセーショナルで聴衆の感情を煽れるし、マス五味の流す情報に食いつきやすいし、洗脳しやすいのだろう。
学園の話題が下火になろうとすると、手を変え品を変え、まるで羊を囲い込む牧羊犬のようだ。と思った。


で、話は戻り、実際今回は被害らしき被害が起きなかったので、被害届も出せないし。
……詰んだ。
という事が今になって判明し、初めに穏便に済ましたのは果たして良かったのだろうか。
という疑問が起きてるのである。
加害者はオトシマエをつける機会を逃した。私はそれを容認したとも考えられないだろうか?

被害者と加害者はどちらかだけだは成り立たない。コンビみたいなものでそれでひとつ。
惹かれ合う部分があるからそうなる。と、オリオンのどっかで書いてたと思う。
それの事を折に触れ考えてる。
加害者が100%悪いとは考えてない。こちらにその隙があったのだ。
今回で言えば、通報なんて出来ないといった屁垂れた根性が引き寄せたのだ。

穏便にするのは時と場合によってはアリだが、それが自己保身から来た判断が不味かった。
こういったデメリットもあると分かって敢えて、それを選択するならまだしも。

これからは有事の際には警察官にはちゃんと税金分働いてもらおうと、覚悟しておこう。
しかし、一番は何も起きない事。なのである。それには自分がしっかりしないといけないと痛感してる。

しかし、件の人物、特徴が無いのが特徴と言うぐらい、普通であった。
見た目じゃ分からない。
しかし、潜象勘の発達してる人なら察知出来そうであるが。
思えば色々と学ぶ事があるものだ。
おたふく風邪
左頬が夕方頃腫れてきて、一晩経ったら更に腫れてびっくらした。
何だか身体もだるいような気がするのし、変な菌とか感染したら迷惑だと思い、
友人との予定をキャンセルして貰って休息に専念した。

ネットで症状を調べて、どうやら耳下腺という部位が腫れてるらしい。
腫れててちょっと身体が怠い以外は、熱も無いし平気といえば平気なのだが自分でこの体の変化にビビり、詳しい人に窺いたいとの思いから、病院へと出向くことにした。
まさかの血液検査をする羽目になった。
心の準備が出来てない状態で、手汗をかきながら血を抜かれた。
すぐ結果が出る内容とそうで無い内容があり、
すぐ結果が出る方の内容は、血液が細菌と戦ってる様子も無く平和なものであった。
結果が出るのに時間がかかる内容は、おたふく風邪の有無を調べるもので、こっちの方は保留という事になった。

病院行っても行かなくても、どっちでも良かったねえ……と思いながら心の安定をカネで買ったのだと思う事にした。


さて、病状はさておき実際自分の身体が何かしらの反応が起きてるのである。
理由も無くわざわざ左頬が腫れることあるまい。
ここは《自分を愛して!》(リズ・ブルボー著)の出番である。
腫れ、熱を持った炎症系の症状は身体に溜まった怒りが原因の場合が多い。
耳下腺炎-おたふく風邪の項目があり、読むとヒントになる事が書いてある。

要約すると、
耳下腺は唾と関係しており、かかるのは殆どが子供である。
したがって、唾を吐きかけられた=悪口を言われた、侮辱された、非難された、と幼い頃感じて傷ついた心に気づくため、この機会は与えられている。
というものである。

幼稚園児ぐらいの頃、おたふく風邪は片方だけ済ました記憶がある。

怒りに関して、頬が腫れた日に近い時期で思い当たる事がある。
その時期、私はオリオンの25〜30号辺りを読み直しており、自分は当事者でないし会ったこともない人々に対し、憤り、或いは非常に悲しいと思ったりして、自分でも何で其処まで反応するのか謎であった記事がある。
思うに、コレは何かの引き金になる内容という事だけであって、本当の原因は自分の方にある。
具体的なそれが分からない。
しかし、それと似た状況であったと思う。

その後更に記事は続き、その人も何となしに込み入った事情があるのだろうと、
理解したつもりで怒りは収まったようであったが、件の記事を読み返したとたん、こんな事になった。

というか、リアルタイムで読んだ時も同じように憤りを感じたのだが、その時そんな反応出なかったのに今回コレである。


思うに、今だからこそ立ち向える程度に自分が育ったので、こういった症状が出たのでは無かろうかと。

腫れにはビックリしたが、症状は軽くこういった思考をする余地がある程に軽い。
たまたま休日にこの症状が起こった。
という状況を考えると、タイミングが色々と良かったと思える。

その自分の中の憤りについてハッキリとコレだ。という確信が持てないのだけども、問題点が分かったのでじっくり取り組もうと思う。

因みに腫れは2日で引きました。

今更ながら…
6/6に拍手にコメント下さった方、どうもありがとうございます!

本当に今更なんですが。

拍手にコメント機能があったのは知ってたけども、そこにコメント付くのは思いもよらなかったので。
気づくのが遅れました。

更に言うと、もっと前に気付いてたのだけども、今更返信するのも変だよなあとか、思って色々言い訳して放置していたのだけども、その存在は忘れる事なく私の中に折をみては顔を出し。

色々考えて、相手がどう思おうが、結局御礼を返したかったのだという本心に従う事にしました。

本心に気付くの時間かかり過ぎ…!

しかしお話会があったのがほぼ半年前というのは感慨深い。

スッキリした。