点と線と円
どこまで行けるかこの旅路
プロフィール

zaba

Author:zaba
【点と線と円】のzabaです。
・趣味、興味のあること中心に記事を書いてます。
・見えない事も分かるようになりたいです。
よろしくお願いします。



最新記事



カテゴリ



最新コメント



カレンダー&アーカイブ

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



最新トラックバック



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



お越し下さりありがとうございます



実際コトが起きると
いずれ確実にそうなるだろうと分かっていたし、心の準備も出来ていたのだろうけど、
やはり実際コトが起きると感情というものは湧いてくるもので、
これは頭では制御出来ないものなのだと自分に戸惑っているので言葉に表し辛い。

ただ、僭越ながら記事を読んだ時、
星の王子様の王子が肉体を離れる瞬間の最後のシーンを思い出した。
(一度しか通しで読んでないので曖昧だけれど)
肉体を離れるってそういう事なのかなと。

お見事でした。
ちょっと先へ進んでしまったけど、また会える時まで。
ルルさんありがとう。
スポンサーサイト
意図
仕事中他愛のない質問をしたのだが、答えを得られなかったので、それについて不満を伝えたら
「それを知ってどうするのか」
という返しが来た。

それを聞いて答えに窮したのだけども、詰まるところの私のコレは「個人的興味」程度の質問であり、しかも聞かれないと出てこない程の薄い興味の、無意識に発せられた程度のものであった。

そしてそのような戯言に懇切丁寧付き合う必要も無ければ、
間抜けな質問に対して答えてくれないからと言って不満を零すのは、愚かであるのである。
と気付かせてくれた。

頭良いな。どうしたらそんな風に考えられるのだろうか?
と自分との差に相変わらずダウナーな気分になるのであるが、改めて質問は難しいと思うし、「何の為の」という視点が自分には抜けていた。

という訳で、折角の隔月の質問コーナーを勿体無い事に費やしちゃったなあと、ちょっと引きずってる所である。
そして、どんな質問にも回答してくれてるのは懐深いなあと改めて思うのである。

虫の声
7月に入り暑い日が続いてるのだが、蝉の鳴き声がしない。
毎年いつ位から鳴き出してるのか?と言われたらう~んと言うしかないのだが。
七夕とか夏祭りの時期とか鳴いてたような気がするのだけども記憶が曖昧である。

というか、今年は蛙の泣き声もしない。
梅雨らしい梅雨が見当たらない今年なのだが、それでも去年とか思い返せば
この時期の雨振った時とか上がった後には、遠くから蛙の鳴き声がしてたように思うのだが。

更に言えば、虫全般の鳴き声がしない。
良く分からない名前の知らぬ虫の声が聞こえないのだ。

私の住むマンションの一階部分は法律でそう決まってるのか一部空白の土地がある。
庭のようになっているのだが住人が勝手に出入りできるようにはなっておらず、
手入れはたまに業者がする程度であり夏なんか草ボーボーで緑々しい。

それを見たりして、夏だなあと思ったりするのだが、今年は草が生えてない。
良く見たら土にシートがかぶせており、その上に土を更に盛っている。
シートのお陰で草が生えてこれないようになっているのだ。
コスパの良い管理方法だとは思う。
確かにあれだけ草が生えると虫も湧くだろうし、刈り取るのも大変だろうが、緑が見えないと言う部分で私はやや不満である。

不満と言えば、例のアブラムシとの闘争である。
抵抗すればするほど、今度は第3の勢力が生まれた。
謎の芋虫である。
いつの間に卵なんぞ産み付けておって……
今度の芋虫は葉っぱをむしゃむしゃ食べる。育ち盛りである。
止めておくれと思い、私はミント側へ暫く加勢してたのだが、何かだんだんどうでも良くなってきた。

そこまでミントに固執する理由も余りないし、世知辛い自然環境でここに落ち着いてるなら、好きにすれば良いじゃないかとも思う。
使うのかそうでないのか分からない葉っぱを、小さな虫にすら分けてやらぬのかと、言う意見も何か何処かからする気がする。

この芋虫、成虫がどんなのになるのか少し興味が湧いたと言うのもあるし、葉っぱの虫を殲滅するのにも飽きたというか。
後は、当事者同士で(植物と虫)決めてくれ。
と言う訳で、初心に戻り、私は水遣りに撤することにする。


毎年毎年、異常気象だと言うが、今年もそうだよなあと思わずにいられない。
異常が常習化したらそれが自然ということになるのだろうか?
どの状態が自然と言うのか分からないが、何処かでバランスとってこうなってるのだとは思うので、これもある意味自然なのだ。
変わる環境にどうやって順応するのかかが、大事なのかもしれない。
後からの人
相変わらず大体週1回、革の教室に通ってる。
かれこれ5年位になるのだけども、その間に私の他にの通ってる生徒の顔ぶれも変わったりもした。

以前に多かった人たちは、遊びので来ており、お喋りも多く、何でもかんでも人に聞いて自分で考えて作業を進めるという意思が無さそうな人が多かったと思う。
しかも、出来ない事に対して自分を省みる事が無かったように思うし、態度も大きかった。
教室は基本趣味で通う人が殆どなので、遊びで良いし、上達しようとする意思が無くてもそれは人それぞれだから良いと思う。
(しかし通ってた初期の私は、煩いなあ、もうちっと黙ってくれんかなあ。そんな舐めた態度は如何なものか。と、イラつく事もあったという同程度の人間であった)

そんな事もあったが、だんだんそういった人らも年齢的なものとかが理由で休みがちになり、気付いたら居なくなってた。
そんな感じで、大変作業しやすい環境になったのだが、この辺に来また新しい動きが出てきた。

以前は、慣れるまで時間がかかる等の理由でなかなかやりたがる人が少なかったカービングを今では積極的にやる人が多くなった。
時には、その日通ってる生徒が全員カービングをやってるという日もあったそうだ。
平日の木曜固定の生徒は私ぐらいであったが、新しい同年代ぐらいの女性がこの曜日にかち合うようになった。
この女性は通ってまだ日が浅いのだが、上手なのだ。
私なんぞはカービングに慣れるまで半年ぐらいかかって未だに失敗する時もあるのだが、この人は初めてなのにちゃんと形になってる。

後から来る人が追い抜く…というの流れがあるのはこういう所にも及んでいるのだなあと思った。
今まではこの教室でカービングやる人は私ぐらいで、専売特許という訳では無いが、他にやる人が居ないという部分で満足してだのだが、これからはそうはいかないとい。思い違いをしていた自分である。
何となく張り合いが出てきた感じで楽しみな部分もある。

この間は他に人がいて、そういう時は気が散りがちなのだが、その時はそういった人がいたせいか前より集中して作業出来たように思えた。

記憶のハンドブック
幼稚園に通ってた頃、その園では季節ごとに小さい文庫本サイズの本を配られており、今思い返せえば私はそれが大層気に入ってたのだなあと思い出した。
もう一度見てみたい。と、思ったのだが、タイトルが思い出せない。
小さい文庫本サイズでページ数はそんなになく、全ページペラペラな紙ではなく、厚紙であったと思う。
季節ごとの草花や、それを使ったおもちゃの作り方、生き物やその生態、童謡なんかも載ってたと思う。
イラストや写真が多用してあって、ほとんど平仮名で文章が書かれており、簡単な漢字が使われてたかもしれないが、ふりがなが振ってあった。
よいこのポケットずかん。とかいう名前だったような気がするが。
画像検索したら、それらしきものがチラホラ出てきてた。調査継続中……


それを読んで、草花や自然に興味を抱いて、今でこそ家こそが至高!というスタイルだけどもその頃は結構外にで遊びまくってた。
本は読まずとも、図鑑には興味を抱くごくごく標準的な子供であり、あの頃はあれはあれで面白かったなあと思う。
自分にもああいう時期があったのだと思い出すと、あの頃に戻りたいとかじゃないけども、あの感覚は大事にしないとなあ。とは思う。