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アルタイル
今更感があるけども、最近アサシンクリードを鑑賞した。

と、言っても、ゲームの方で、シリーズ物の初めに出たやつのプレイ動画である。
(ゲームプレイ動画の視聴については賛否両論あるけども、これは発売が2007年で10年前のゲームであるのでご容赦頂きたい)
(因みにゲームプレイ動画を鑑賞してそのゲームについて分かることを”体積体験なし”実際プレイして楽しむことを”体積体験あり”と心の中で呼んでる)

感想についただけども、アルタイル(主人公)がかっこいい…!
上手い人のプレイを見てるからそう思うのか。
あと、洋ゲーは硬派な所が良い。
ガチムチのオッサンとかむさい漢とか爺さんとか重厚な装備。(女性キャラもいますが不自然じゃない程度)
歴史上の人物も上手く表現されてて、短いやり取りの中に濃厚な個性を感じる。獅子心王カッコイイです。
あと、当時のイスラムの世界観が上手に再現されてて、その中をパルクールで駆け抜けるってのは爽快というか、ソレがこのゲームのウリなのでそこも良い。

話で意外だと思ったのは、話の中で登場人物らがハッキリとカトリックの世界観を否定してる部分ですかね。
日本だったら別に違和感は無いのだけども、このゲーム作ったのは7割はカトリックであるフランスの会社なので(信仰度合いは色々あるだろうけども)何か抗議とか無かったのかな?と。
しかし、この手のゲームをやるのは若い世代なのでそこまで違和感無かったのか。騒がれなかったのか。

そして、この10年の間そういった人々に支持され、続編が次々と作られ(このシリーズ続編やら派生作品が多い)映画化までされたのは人々の意識(今まで信じられてきた宗教観やら世界観)が昔と変わってきた結果と思うと、感慨深いなあと、思った訳です。

久々にやってみたいと思ったゲーム。
しかしハードを持ってない。パソコン版もあるんだよなあ。これ。悩む。
パルクールってフランス発祥というのも今回知った。
二度手間
例の石を入手したのだが、ヤフオクではあまり見つからず、ならばワールドワイドに探そうと思ってeBayで探して、
で、予算内に良さそうなものがあったので入手した。
ヘマタイト
送料が、落札した品物より高い。
eBayは海外のサイトであり、当然全部英文なのである。
私の英語力は”this is pen” 程度であり、英語が読めないのだが、それでもこのご時世サイトごと翻訳する機能があったりと、そんな私でも海外のものが入手できるので、やろうとすればなんとかなるものだなあと、感慨深い。
やり取りも、ヤフオクのオークションフォームと似たような感じで個別にやり取りの必要が基本無いのがありがたい。

デメリットもある。
・翻訳内容が直訳で意味不明
・商品ページの一部の文章が画像扱いだと翻訳してくれない
という事で、写真の情報で判断するのだが、枚数が多い割に見たい写真が写ってない事が多い。

今回のこの品も、肝心の裏側の写真が無かった。
なのに正面からの同じアングルの写真を90度とか180度とか回転させた混乱させるような写真が幾つもあったり。
何でだろう、、、、
最低限、商品金額と送料が確認できればそれで良いということにしてある。

という訳で、半分ギャンブル気分で、最悪届かないのも覚悟で入手して経緯がある。
それでも今までちゃんと届いており、今回も10日ほどで届いた。
因みにポーランドからの出品でした。
出品者のIDにorionや666とあったり、売値が99,9ドルで重さが100gとあったのでそれで決めた部分もある。

実物は満足で、特にお尻のような形があるのが素敵だと思います。
で、出品者の評価なるものをしなければならないのだが、カタコトの日本語を翻訳サイトで直訳してます。
まあ、多分意味は伝わっていると思うけど。

てな訳で、少し労力を使って入手したのだが、これを手に入れたあと、普通にヤフーショップで売ってたのを知り、自分の視野の狭さを痛感した。
いやあの石も一期一会で良いと思います。

さらに後日、衝撃的だったのは地元の名古屋駅の東急ハンズの鉱物コーナーにあった。灯台下暗し。
しかもお値段数百円。握り石ぐらいの大きさ。まだあります。お求めの方はお急ぎを。

というか、あそこの鉱物コーナは前から知ってはいたが、その時はあったのだろうか?
最近出て湧いてきたように私には思える。
そこにあっても意識して見えるようになる事があるのだと思う。

あそこの鉱物コーナーは特に安いとかお得(なのもあるが)という訳ではないが、適正価格という感じがして良い。
ミネラルショー等で仕入れたり、アーカンソーで買い付けしており、またGW付近に特設コーナーを設けると言ってた。
今日行ったら、購入者に隕石の欠片のサービス(米粒くらいの大きさ)とかやってたり、気合が入ってるなあと感じた。

てな訳で、ヘマタイトを巡る旅は一旦落ち着いた。という事にする。
権力と権威
例の前世カードなるものの中のうちに「権威者」と、出たのでそれについて考えていた。

未だに纏まっておらず、かといって完璧になるのを待ってたらきっと何時まで経っても記事になりそうにないそでとりあえず覚え書き程度にまとめておく。

権威者と出たとき、権威とは何ぞや?と思い、似たような言葉の権力とどう違うのか?と思った。
その違いにつて今まで考えたことが無かった。

辞書なり知恵袋なりを徘徊して、一応自分なりにまとめると
・権威とはその影響下にあるものが自ずと従うもので、それ自体に強制力は無い。
・権力は属する構造のルールとして据えられたもので、それ自体に強制力がある。

大抵は権力に権威が付いてる場合が多いし、逆のパターンもある。
権威というのは、人々の共通のイメージが作り出したもので実体が無い分、自分がその影響下に置かれてると意識しづらい。
権威と権力の大きな違いはその影響力が自分の内側か外側かだと思う。

そして、自分はその影響をモロ受けやすいのだと、最近知った。
イメージの影響を受けやすい。

どうも苦手な人がいる。
今は婆さんなのだが、かつてどこぞの学校長をしてたらしく、今でも何かしら文化的な活動に関わっており、、、
何というか、上から目線なのだ。
あからさまなそのような言動を取ってないのだが、端々に滲み出る雰囲気が嫌だなあと思っていた。
のだが、本当に嫌なのは、その上から目線的な雰囲気に萎縮してしまい、本当の自分とは違う言動をする自分だということに気づいた。

もっと言えば、偉そうな態度をとり、私の言動や精神の自由を奪う憎いやつ。
と、思っていたのだが、一番自分を不自由にさせたいたのは自分であった。というオチである。
こういうのを逆恨みという。。。
その影響下に自分を置いていたのは自分であり、その責任は相手ではなく自分にある。
権威というありもしないモノを自分自身で認めていたから、そのような人に対して自分はそのような態度をとったのである。

権威について考えたらその事に思い当たり、なるほど。と、納得したのである。


思い返せば、その権威の影響下にある状況に例えようのない怒りが沸いてた。
そのくせ、その人物には反発できないのである。
逆らえないものに従おうとする自分に、その相手にも腹が立つ。
指図をされるとそれが正当なものであっても腹が立つ。

今ではそこまで苛烈さは少なくなったとは言え、何でかなあと思ってり、これはどうにかしたいと思ってたのだが、この度、その原因が前世絡みであるかも知れないと思うと、何となく腑に落ちる。

自分はよっぽどやりたくない事を、権威に負けて行ったのだろう。

肝心な、具体的な時代や国に関してはさっぱりなのだが。
そこはそこで詰めて行ければと思ってる。
鬼の首を取ったの如く
かつて、というか最近までラジオやらテレビで喋りのプロと言われる人が噛んだりとちったりする度に、「あ、この人噛んだ」
とか言ったり思ったり、囃してたたり、今思うと必要以上に責め立ててた。
根底に“失敗は許せない”という想いが凝り固まってたのだ。
失敗=悪 であるものと思い込んでおり、それは他人に自分にと全方向に責める感情は向かってゆく。

自分が少しでもミスや失敗したら、それこそ地獄まで堕ちたような心境になり、自己嫌悪やら罪悪感に苛まれ自己否定に繋がり自分なんて……とやけっぱちな気分に陥り、
他人がミスすればそれが許せない気分になり、怒りが沸く。

文字に起こすと相当嫌な性格である。

もっと前はその失敗責めは無意識に行われており、勝手に怒ったり、自棄になったり人ですらない状況であった。

という事があり、こうやって記事にしてるのは、今ではあまりそうは思わなくなったからである。
相変わらず噛んでも(あ、噛んだな)と思う程度で収まってるのである。
何でこのような心境の変化があったのかなあと、思い出そうとしてるが決定打がない。

今思い当たったのが、何かの本かで目にしたかもしれないがフジ子ヘミングが
「失敗っしても良いじゃない、機械じゃないんだから」
と言ってた(書いてた)のを読んで、あ、失敗しても良いんだ。と、思ったのがキッカケかもしれない。
しかし、その文章を知ってから数年は経過してると思う。
頭で知っても、心に届くのは時間がかかる事例である。

まず失敗しない人は居ない。それを責めても解決にならない。
何故なら感情が先立っており、解決や改善を考えてないからである。

もっと言うと失敗して責めても自分が辛いだけなので、それが嫌ならそれを辞めれば良い。
という単純な事であった。
自分の失敗が許せれば、他の人の事のソレもどうでも良くなり、結果、心が軽くて快適に過ごせてる。
そんな感じである。